Anti-Memoirs: An Experience of Chipmusic in Japan

* This article is written in both English and Japanese. It was initially written for and published on Scene World Issue 24. The original title was ‘For Keeping on Reopening SID Music’. I described the aims of the essay in the post.

* 本文は元々、コモドール64のディスクマガジン『Scene World Magazine』第24号のために書きおろされたものです。発表時のタイトル「For Keeping on Reopening SID Music」を改めてここに再録します。執筆の趣旨等はこちらを参照してください。

チップミュージックの研究者とは、はたしてひとつの職業なのだろうか。しかるべき教育を受けておらず、ライターのようなジャーナリストですらない者にとっては、自称するしかない職業、綱渡りで遂行されるひとつの任務だ。Near Future Laboratoryに属するスイスの研究者Nicolas Novaは、著書『8-Bit Reggae』のなかで私をチップミュージック・アーキヴィストと呼んだがこれが今のところ、私にとって唯一の「他称」である。私はむしろひとりの歴史家でありたいと思っている。ひとはいかにして歴史家になるのだろうか。一般化できない問いだ。私にとって、チップミュージックは発見されるべき主題でも対象でもなく、絶えることなく再開される行為であり、動詞である。歴史家の役目とは、未来のために収蔵すべき過去の事物を選定することではなく、現在にその身体をもって律動を刻み続けることで、忘却を巻き込むことではないだろうか。したがって、今から素描するのは、私の身に、私の身体で起こってきたことである。

私とSIDとの出会いは新しい。2000年代の終わり、それは一挙にやって来て、今もずっと続いている。西洋の多くのデモシーナーと違って、子供のころには、コモドール64もアミガもなかった(環境の条件)。それどころか、ホーム・コンピュータに関して話のできる友人もいなかった(私自身の状況)。彼らの家にはファミコン(NES)やスーパーファミコン(SNES)のようなビデオゲーム機はあったが、ついにパソコン(PC)を目にすることはなかった。中学生のころ、学校が授業の一環として数十台のFM Townsを導入した。少なくとも私の身の回りの、私以外の生徒にとっては、それが初めての「コンピュータ」だった。

デモシーンのプロダクトに触れるようになったのも、SIDミュージックを通してのことである。2000年代、日本でもチップミュージックが焦点化され始めたのではないか。micromusic.net(1999~)にはtanikuguのような日本人のユニットも参加していた。確かにそうだ。だが、同時代のチップミュージック・シーンに飛び入ることもなかった。私は自分が現在向き合っているものと、常に既にすれ違ってきた。そしてこのすれ違いこそが、私の「方法」かもしれない。

10歳のころ、初めてキーボードに触れた。私の家ではPCの前に、ワード・プロセッサがやって来た。1990年前後、父が仕事のために富士通のOASYS 30LXを購入した。文章が書けるだけでなく、表計算ソフトも内蔵されていて、ベジェ曲線を使って絵も描けた。父が私に一枚のFDをくれたことで、このマシンを使った遊びが始まった。ナンセンスな作文、広大なスプレッドシートの迷路、解読不能な外字、他愛もないことだ。

その後、ふとしたことで自分のPCを手に入れることができた。1993年、父が兄に買い与えたPC-9801BXが、兄の大学進学にともない、私に使用権が移ったのだ。田舎では、まだPC/AT互換機が手に入らなかった時代だった。第一、それらでは日本語が使用できないのが致命的だった。「ふつうの」日本のビジネスマンであれば、NECやEPSON等の国産のPCを利用するのが当然の選択だった。MSXやSHARPのX68000は、既に家電量販店にもなかったと思う。近所の電気店の一角に置かれたPCのディスプレイに映された、アルシスソフトウェアの移植したPC-9801版「プリンスオブペルシャ」のデモを眺めていたことを、幼年期の記憶として持っている。

PC-9801BXはi486SXを搭載した当時の最新機種のひとつであり、NECのPC-9801シリーズの晩期モデルである。不思議なことに、このマシンの内蔵HDD(別途購入)には、最初からソフトウェアがいくつかインストールされていた。ワープロソフト、表計算ソフト、Windows 3.1、そしてゲーム。電子機器の操作に疎い父がどうやってそれらのソフトウェアをインストールしたのか、当初は分からなかった。ある日、PCのメンテナンスにやってきた若い男性の存在によって、その理由と意味を子供ながら(時間をかけて)理解した。Windows 3.1を除けば、それらのソフトウェアはクラックだったのだ。HDDのなかには、ウエストサイド社のWiZARDという「バックアップ・ツール」も入っていた。ただし、これらの違法コピー・ソフトウェアには、クラック・イントロのようなアニメーションも視覚効果も音楽もなかったが。

次第に、HDDのなかのソフトウェアにも飽きてきた。当時は、パソコン通信に接続可能な環境にいなかった。したがって、『ビッグマウス』『ディスクステーション』『TECH WIN』『LOGIN SOFCOM』等、コンピュータ雑誌に付属のFD、後にはCD-ROMを通して、私は新しいアプリケーション・ソフトウェア――主にゲーム――を手に入れるようになった。しかし、PC-9801BXには、サウンドボードが搭載されていなかった。私はしばらくの間、ゲームをしばしば無音で遊んでいた。誇張なしに言うが、それはとても楽しい、貴重な経験だった。ビープでの音楽再生に対応したゲームにもいくつか出会った。例えば、コンパイルのディスク・マガジン、『ディスクステーション』(MSX版ではなくPC-98版)に収録されたゲームの音楽はYM2203で制作されていたが、サウンドボードを所有していないユーザー向けに、専用のビープ・ドライバも用意されていた(FPLAYとBPLAYの効用)。ビープで再生されるサンプルも聴くこともできた。PCのスピーカーから声を発せられるのは、神秘的だった。また、日本のフリーウェア・ゲーム・シーンに革新をもたらしたグループ、Bio_100%のゲームは、ビープによる和音表現(3重和音)を実現していて、ゲームのなかにはBGMとSEが併存していた(BGMLIBの効用)。私にとって、それらは紛れもない「ゲーム・ミュージック」だった。

お小遣いでFM音源のサウンドボード(Q-VISION社のWave Master、PC-9801-86の互換品のひとつ)、500MBのHDD、CD-ROMドライヴを購入することで、私のPCはゲーム・マシンにより近付いた。『LOGIN SOFCOM』(1994~1997)というムックによって、FM音源とMML(Music Macro Language)ミュージシャン、アマチュア・ミュージシャンへの出会いが開かれた――実は同時期、Yamaha DX-7をフィーチャーしたScritti Polittiの『Cupid & Psyche 85』を好んで聴いていたのだが。1980年代後期から、ASCII(後にエンターブレイン)はアマチュアのクリエイターを支援するために、「ツクール」と呼ばれる、ゲーム開発を中心とした廉価なツールを多数発売していた(RPGツクール[チャイムズクエスト、Dante]、シューティングツクール[バカスカウォーズ、ポリゴンシューティングツクール]、アドベンチャーツクール、等々)。『SOFCOM』は一種の機関誌で、付属のFDやCD-ROMには、それらのツールで制作された、編集部やアマチュアのクリエイターのゲームがいくつも収められていた。PC-9801用のツクールでは、MUSIC.COMという名のYM2203用のFM音源ドライバが利用可能だった。ソースコードに相当するMMLデータをコンパイルすることなく、コマンドラインから直接、楽曲を再生することが可能だった。私は音楽CDを買い集め始めていたが、それらの音楽よりも頻繁に編集部やアマチュアの開発者によって作られたMMLミュージックを聴き、それ以上の時間をかけて、自分でMMLを用いた音楽制作をひたすら試み続けた。なぜ、CDやTV、ラジオから聞こえてくる音楽よりも、限られた音で作られた音楽に没入できるのか、なぜアマチュア・ミュージシャンの音楽は魅力的なのか、なぜ私は発表するあてもないのに音楽を作り続けているのか。これらの問いが私を捕えた。

1990年代後期、父は、自分の仕事のために新しいPCを購入した。Windows 95がプリインストールされた、富士通のPC/AT互換機だった。間もなくインターネット接続が可能になった。私はフリーウェアとシェアウェアを多数収録したCD-ROMの付属したムックによって、MUSIC.COM以外に、自分のマシンで利用可能なFM音源ドライバが他にもあることを既に知っていた。すなわち、ぐぅ(長井理)の手になるFMPとKAJA(梶原正裕)制作のPMDである。付け加えて、ビープ用の――1-bitミュージックのための――音楽制作ツールもいくつか存在していた。インターネットを利用して、私は新たなMMLソングとデータの入手に成功した。YM2608に対応したそれらのドライバの表現力は、MUSIC.COMとは明らかに異なるものだった。その違いは、PCMの使用や同時発生可能な音の数によるものだけではなかった。しかしかといって、MUSIC.COMの音楽が、全く魅力を失うわけでもなかった。各々のドライバ(ミュージック・ルーチン)にそれ自身の音の質が存在することに、その時初めて気付いた。Wiz.、骨折飲料、梅本竜、高見龍、temmings、longfi、UME-3、wani――また私はインターネットによって、何人もの(パソコン通信のBBSをプラットフォームに活動していた)MMLミュージシャンの存在を遅れて知った。当時、彼らのなかには私と同じように、10代の者もいた。

私はアミガを実際に見たことはなかったが、『ウゴウゴルーガ』(1992~1994)のようなアミガのツールで制作されたCGが動き回る子供番組を視聴していた。一部のコンピュータ雑誌は時折、「メガデモ」に関する記事を掲載していた。だが私の知る限りでは、それらは「デモシーン」を特集したものではなく、あくまで個別のプログラムのエキゾチックな外観が問題になっていたように思う。ネットに接続して、それらのプロダクトにアクセスすることには思い至らなかった。私は音楽ファイル・フォーマットとしてのMODともすれ違っている。高校に入った私は、ある時後輩から「MODって知っていますか?」と聞かれた。その時は何のことだったか分からなかったが、後になってそれが1998年にリリースされたBM98(やねうらお制作)という、コナミの「beatmania」に触発されたフリーウェアで利用可能な音楽フォーマットを指していることを知った。正確には、それはBMS(Be-Music Script、Be-Music Source file)という名のwavファイルとbmpファイルから成るオブジェクトの割り当てが記述されたスクリプトであり、実際は音楽ファイル・フォーマットとしてのMODとはかなり異なっている。BMSシーンでは、しばしば、ひとつのファイルを制作する作業は、映像と音に分担されてきた。これはデモシーンにおけるプロダクト制作の分業と似ている。つまり、そこには専業(プロフェッション)の概念が存在している。また、1990年代後期の日本では、Scream Tracker、Impulse Tracker、FastTracker II、MODPlug Tracker、PlayerPROといったデモシーンに由来するツールが、BMSシーンだけでなく、その他のPCユーザーにも、音楽制作に利用されていた。デモシーンはすぐ側にあったのだ。そして2001年、チップチューンという用語と概念をこの国にもたらした、チップミュージック・サイトVORCが始動する。皮肉にも、私はこの年自分のPCを所有していなかった。

2000年代後期、私はファミコン用ゲーム、「ソルスティス」のサウンドトラックを制作した作曲家に興味を持った。彼がビデオゲーム・ミュージック・コンポーザーからのリタイアを宣言したころだっただろうか。Tim Follin、一体この人は何者なのか。私はインターネットを利用して彼について調べ始め、彼がNESだけでなく、ZX Spectrum、Commodore 64、SNES等でも仕事をしてきたことを知った。「Future Games」や「Chronos」のような、ZX Spectrumのゲームのビープによるサウンドトラックは、私が聴いたことのないものだった。私は彼の音楽のなかでも、Commodore 64のサウンドトラックに最も惹かれた。彼自身もそのマシンのサウンド・チップ――SID(Sound Interface Device)――に親しみを覚えているようだった。「The thing I liked about computer music, especially on the C64, was that it was like playing an instrument in its own right.(コンピュータ・ミュージックで、そのなかでもC64で気に入っていることは、それ自身の能力=権利で、演奏しているようだったことだ)」というあるインタヴューのなかでの彼の発言が、何かの決定的なことのように思えた。そしてRob HubbardによるCommodore 64用ゲームソフト、「Formula 1 Simulator」のサウンドトラックを聴いた時、私の身にSIDに関する「選択」が課せられた。SIDミュージックがファミコンやゲームボーイのチップチューン、あるいはアミガやDOSのトラッカー・ミュージックより優れているといったことではない。むしろ、重要なのは、それらの間の類似性だった。10代のころ、さまざまなMMLミュージックを通して得られた経験がそこに繰り返されていた。その「類似性」をチップミュージックの特徴と私が認識するのは、後のことである。SIDに対する私の関心は単なるひとつの好みではなく、強迫的な問いのようなものだ。あれやこれの音楽に優劣をつけることが重要なのではない。それらの間の広がりを支える潜在性が私を動機付ける。なぜこのような音が今ここに存在するのか、いかにして現在まで生き残ってきたのか。私はSIDミュージックについて調査を開始した。まずはRob Hubbard、Martin Galway、Ben Daglish、Fred Gray、Chris Hueslbeck、Jeroen Tel等、西洋で「古典」と見なされているビデオゲーム・ミュージックの制作者に接近した。そして不遜にも、日本ではマイナーな彼らの音楽を紹介するのが私の任務と考えるようになった。Rob Hubbardの音楽は明らかにビデオゲーム・ミュージックのフォーマットを逸脱し、各楽曲を一個の「作品」として聴取するよう要請する形式を備えていた(バンド的なインストゥルメント編成、曲の長さ、長いソロ演奏)。それぞれのゲーム内部の文脈、ゲームセンターや家庭等の特定の場所に由来する文脈を括弧に入れることで成立する、ゲーム・サウンドトラックの自律性。これは物理メディアで数々のゲーム・サウンドトラックがリリースされてきた日本でも見られた現象だった。1984年、細野晴臣によってプロデュースされた『ビデオ・ゲーム・ミュージック』が、その動向に先鞭を付けた。

2008年から一年間をかけて、私はニコニコ動画という日本の動画投稿サイトにSIDのビデオゲーム・ミュージックのコンピレーション(VGM Classic)を投稿した。Rob Hubbard、Ben Daglish、Martin Galwayの曲のコンピレーションをまず発表し、次いで、コモドール64のゲーム業界の主要なデベロッパーとパブリッシャー別にコンピレーションを編んだ――Thalamus、Rainbow Arts、Ocean、Elite Systems、System 3、Hewson、Mirrosoft、Melbourne House、Zeppelin Games、Codemasters、Mastertronic、Firebird(Telecomsoft)。途中でこれではあまりにヨーロッパ中心主義的ではないかと思い、Epyx、Activision、LucasArtsのコンピレーションも準備していたが、結局この付加的なプロジェクトが実現することはなかった。なぜこのような編集方針を取ったのかといえば、日本のビデオゲーム・ミュージックでは、PCMとストリーミングが主流になる以前、言い換えると(FM音源チップを含む)プログラマブル・サウンド・ジェネレータの時代あるいは合成ベースのビデオゲーム・ミュージックの時代では、コナミ、カプコン、タイトー、サンソフト等、メーカー毎に固有の音の特徴があったからだ。「コナミ・サウンド」、「セガ・サウンド」、そういった名称には意味がある。ゲーム・ミュージックやチップミュージックは、一握りの才能ある「作家」によってだけでなく、興味深い集団性あるいは多様性によって特徴付けられる。しばしば制作者の名前とともに/があるにもかかわらず、匿名性を有している。その集団性は、音楽制作に使用されるハードウェアやソフトウェア、集団のなかでの特殊な音楽的趣味に由来することがある。私はSIDミュージックおよびデモシーンにおいてさまざまな集団性の形を、グループという活動基盤や、Soundmonitor、Music-Assembler、Future Composer、JCH Editor、DMC、GoatTrackerといった デモシーンに由来するツールに見出してきた。それらの間には、知覚と知によって識別可能な質が存在している。これらのコンピレーション制作は、私にとってやりがいのある調査であり、実験だった。西洋では顧みられることの少ないコンポーザーや曲にも配慮しなければいけないと考えた。なぜなら、この国でSIDミュージックが未知であるように、西洋でも忘却が存在していたからだ。私のコンピレーション作成の目的は、簡潔に言えば、文脈の活性化と状況への介入である。

私は同時に、SIDと日本、いや、SIDミュージックと私が摂取してきた文化との接点を探し始めた。これには、日本のリスナーにこの音楽に関する注目点を提供する意図も含まれていた。例えば、Ben DaglishやMartin Galway は1980年代にYellow Magic Orchestraの曲をカバーしていた。Rob Hubbardは坂本龍一の「Merry Christmas, Mr. Lawrence」に着想を得た曲を制作していた。あろうことか、これらの曲は商用ゲームに使用されていた。Ryo Kawasakiのような、80年代半ばに音楽活動にコモドール64を用い、またこのマシン用の音楽ソフトすらプログラムした先駆的な人物もいた。そして私はコモドール64やZX Spectrum、Amstrad CPCに、SNK、タイトー、カプコン、IREM、SEGA、データイースト、UPL等の日本のアーケード作品が多数移植されてきた事実に注目し、これに関連するコンピレーション・シリーズをリリースする準備を開始した。このプロジェクトは、最終的には、2010年に「A List of Arcade [Coin-Op] Conversions for the Commodore 64」というリストに形を変えて発表された。

しかしYouTubeやViemoのようなサイトと比較すると、ニコニコ動画はクローズドなサイトであった。確かに、私のプロジェクトは日本のビデオゲーム・ミュージックのリスナーに向けてSIDミュージックを紹介するという意図には適っていた。しかし私は次第に自分の行いはコンピレーションのリソースであるHVSCのクルーやミュージシャンたち、デモシーナーたち、当時のゲーム開発者たちに対して、それが不誠実な行為ではないかと感じ始めるようになった。かくして、Twitterを通してゆっくりとではあるがそれらSIDミュージックの当事者たちとコンタクトを取り始め、その後SID Media Labというブログを設立した。ところで、2009年にAte BitがリリースしたC64デモ、Bad Scene Poets Are BackのGreetsには、私の仮名(akaobi)が出てくる――ただしaki_obiと誤植されて。今では面白い事実かもしれない。

私はまず、ビデオゲーム・ミュージックという切り口でSIDミュージックを学んできた。それはデモシーン・ミュージックの膨大さに備えるためだった。SIDミュージックの特筆すべき点は、1990年代前期に商用のゲーム開発が途絶えた後も、音楽制作が持続されていることにある。ブログを開設してまず私が発表したのは、Markt & TechnikやCP Verlagが発行していたコモドール64のディスク・マガジンに収録されたゲームに使用された曲のコンピレーションである。作者の多くはティーンネイジャーか20代前半のデモシーナーであった。日本だけでなく、ヨーロッパにもユースカルチャーとしてのホーム・コンピュータを利用したプログラミングやCG制作、音楽制作の活動があったことを確かめたのである。そして時間の経過とともに、東西を問わず、ユースカルチャーの活動は技術的成熟やマンネリだけでなく、その意義の再考を迫られているかに見えた。この「持続性」は普遍的な課題を呼び寄せる。ハードウェアとコンセプトの死と再生、オーセンティシティとエミュレーション、老化と感覚の変化。私たちはビデオゲーム・ミュージックと、デモシーンのプロダクトと、チップミュージックと共に老いている。これは不可逆的な進展である。言い換えると、チップミュージックやビデオゲーム・ミュージックは回帰不能な事態として回帰している。私が過去と向き合うのは、そのような意味においてである。

いわゆるレトロ・コンピューティングは盛んであるものの、コモドール64はこの国では言及されることが少ない。それにもかかわらず、私は強迫的にこのマシンに関することを発信し続けた。2012年、Tanikuguのsigramiによってオーガナイズされた小さなチップミュージック・パーティで、Zardax、radiantx、Dwayne Bakewell、Glenn Rune Gallefoss、DRAX、CreaMD、Intensity、A-Man、Daneの曲をかけながら、私は初めて人前でSIDミュージックについて話した。その場には私と同じように『Sofcom』を通じてMMLを制作し始めたBunや、VORCのhallyもいた。その数日後には、偶然からなのだが、コモドール・ジャパンの元社員と会った(その時のレポートは「Back to Commodore Japan」という記事にまとめた)。もちろん、彼らにとっては、デモシーンも現在のSIDミュージックも、私が見せたHardSIDのようなデバイスも未知のものだった。非同期的な出会い、それには時間がかかることを知ったのである。私はあらゆる場面で、いつでも、自分が場違いだと感じ続けてきたが、いつの間にかSIDミュージックとコモドール64は私にとって動かしがたいものに化していた。私は、このマシンによって突きつけられる問いから離れられないのだ。

SIDを通して、私の貧しい経験は線を結んできた。例えば、Commodore 64とAmigaとを結ぶ線。Stello Doussis、Keith Tinman、Jason Page、Barry Leitchといったミュージシャンは、両方のプラットフォームで活動していた。チップミュージックやその他のことについて考える時、ひとつひとつの線が引っ張り出される。例えば、私はこのようなレッスンを考える。5年前後の間隔を置いて発表された3つの曲がある。4-matの「chiptune.mod」、Rob Hubbardの「Formula 1 Simulator」、The Human Leagueの「Hard Times」、これらの間に私たちは何を見出すだろう。通常「影響」と呼ばれる何かを認めるだろう。その何かは時と場と文脈を越え、受肉化される。この継承は、MIDI信号のようにシリアルに転送されるわけではない。「伝統」はリニアでも単色でもない。Rob Hubbardのミュージック・ルーチンを借りたlftのThe Chipophoneのようなプロジェクトに接した時、表現方法や素材は変われど、このマシンに、彼のなかで働いているものこそが、SIDミュージックを展開させているのだと理解した。The Chipophone に先立つReverberationsのような実践の仕方もまた、SIDミュージックのリミックスとは概念と方法において一線を画していた。4-matやlftのような人たちはSIDミュージックを再開し続けている。私はSIDミュージックに接近するために、迂回する。私のプロジェクト(ブログ)、SID Media Labが散漫な理由である。

私が過去に制作した楽曲も、そのために使用したマシンも存在しない。20年以上の間の忘却を必要として、SIDミュージックとコモドール64は私のなかで揺るぎない動因と化した。したがって、これは既に私の回想ではない。

Can a chipmusic researcher be a career? For someone who has not gotten proper training and is not even a journalist such as a writer, it is a career which has no choice but to call oneself, and is a task, which is accomplished on a tightrope. Swiss researcher Nicolas Nova, who belongs to Near Future Laboratory, called me a chipmusic archivist in his book titled 8-Bit Reggae. This is the only “job name called by other people” to me at the moment. Rather, I want to be a historian. How do people become historians? It is not a question which cannot make generalize. Chipmusic is neither a subject nor an object to be discovered, but an act which is always reopened, and a verb. I think that a historian’s duty is not to select things from the past to be saved for the future, but to continue to beat out a rhythm with his/her body to implicate oblivion. Therefore, what is going to be sketched from now is what has been occurring to me, on my body.

My encounter with SID is recent. In the late 2000s, it came at one stroke and is still going on now. Unlike many western demosceners, there were not both Commodore 64 and Amiga as a kid (i.e. environmental condition). On the contrary, I had no friends to talk to about home computer (i.e. my own situation). There were video game consoles such as Famicom (NES) or Super Famicom (SNES) at their houses, however, I have not seen their personal computers (PCs) after all. When I was a junior high school student, my school introduced dozens of FM Towns computers as part of teaching. At least for other students around me, this machine was a first-ever “computer.”

I had come to touch products from the demoscene through SID music. Did chipmusic begin to be focused also in Japan in the 2000s? For example, a Japanese musical unit like Tanikugu participated in micromusic.net (1999-). That’s certainly true. But I did not plunge in the contemporary chipmusic scene. I have always already missed what I currently confront. And this miss may be my “method.”

I touched a keyboard first at the age of ten. A word processor turned up at my house before a PC. My father bought Fujitsu OASYS 30LX for business reasons around 1990. With this machine, we could write sentences, as well as use the built-in spreadsheet software and do the drawing using Bézier Curve. One day my father gave me a floppy disk, so then the play with the machine started: nonsense prose, a range of spreadsheet maze, unreadable extended characters – all were silly things.

Later, I got my PC unexpectedly. That is, the right to use one unit of NEC PC-9801BX which my father bought for my older brother was transferred to me because it was decided that he would continue to college in 1993. In those days, we still could not obtain PC/AT compatibles in the country. First of all, it had a fateful problem that the Japanese language was unusable. To “average” Japanese office workers, it was the logical choice that they used PCs developed by domestic companies such as NEC and Epson. I think that electric retail stores already did not sell MSX and Sharp X68000 at that time. I have an early memory of looking a monitor showing PC-9801 version of Prince of Persia converted by Arsys Software on a demonstration screen.

PC-9801BX was one of the latest models equipped with i486SX at the time, and was a late type of PC-9801 series. Strangely, some software was installed on the built-in HDD (which was purchased separately) in the machine for the beginning: word-processing software, spreadsheet software, Window 3.1, and some games. I had no idea at first that how my father, who was out of touch with operating electronic hardware and software, had installed those applications software. One day, young person visited my house to maintain the PC, and later I understood the reason and the meaning (over time). These applications software were cracks except Windows 3.1. The HDD also included a “backup tool” called WiZARD developed by WESTSIDE Co., Ltd, however, animation, visual effects, and music were not attached to these pirated software like crack intros.

Gradually, I had come to get tired of software in the HDD. I did not live in the environment capable of connecting to online services at that time. Therefore, I began to get new applications software – mainly games – through FD and CD-ROM attached to computer magazines such as Big Mouse, Disc Station, Tech Win, and Login Sofcom. But any sound boards were not installed in my PC-9801BX, so I often played games in silence for some time. Speaking of this with no exaggeration, it was quite a fun and rare experience. I met some games which supported music playback using the beeper. For example, the soundtracks for the games included in Compile’s disc magazine named Disc Station (in PC-98 era, not MSX) were produced for YM2203, however, they enabled someone with no sound boards to listen to them by equipping dedicated beep driver (i.e. the utility of FPLAY and BPLAY). Additionally, we could hear digitized samples using the beeper. It was mysterious that the speaker inside the PC made a voice. Also, the games developed by Bio_100%, a group brought innovation to the freeware game scene in Japan, made it possible to play a chord (a triad) with the beeper, so BGM and SE coexisted in their games (i.e. the utility of BGMLIB). They were genuine “video game music” to me.

My PC approached more to a game console by buying an FM sound board (Q-Vision Wave Master, one of compatibles with PC-9801-86), 500MB HDD, a CD-ROM drive with my allowance. The magazine titled Login Sofcom (1994-1997) allowed me to meet FM synthesis, MML (Music Macro Language) musicians, and amateur musicians – in fact, I loved to listen to Scritti Politti’s album named Cupid & Psyche 85 featuring Yamaha DX-7 around the same time. ASCII (afterward Enterbrain) has released many low-cost tools called “Tkool” with a focus on game development to support amateur creators since the late 1980s (e.g. RPG tkool [Chimes Quest and Dante], Shmup tkool [Bakasuka Wars and Polygon Shooting Tkool], Adventure tkool, and so on). Sofcom was a kind of an organ, and a lot of games developed by the editorial department and amateur creators were included in the FD or CD-ROM attached to the magazine. Tkools for PC-9801 allowed us to use an FM synthesis driver for YM2203 named MUSIC.COM. By using this, we could immediately playback music from the command line without compiling MML data corresponding to source code. I began to collect audio CDs at that time, however, I listened more often to MML music produced by the editorial department and amateur developers than songs in them, and tried to compose music using MML patiently, spending much more time. Why can I devote myself more to the music made of limited sounds than sounds which come from CD, TV, and radio? Why is amateur musicians’ music so attractive? Why do I keep on making music has no prospects of getting published? These questions captured me.

In the late 1990s, my father bought a new PC for his job. It was a Fujitsu PC/AT compatible pre-installed with Windows 95. Then the Internet access was provided to us. Through certain magazines with CD-ROM including many freeware and shareware, I already knew that there were other FM synthesis drivers available on my machine other than MUSIC.COM; that is, they were FMP coded by Guu (Osamu Nagai) and PMD coded by KAJA (Masahiro Kajihara). Additionally, there were tools for making music for the beeper – for 1-bit music. I got new MML songs and data files through the Internet. The expressive power of the FM drivers which supported YM2608 was clearly different from that of MUSIC.COM. The difference was not just caused by the use of PCM or sounds could be generated simultaneously, however, MUSIC.COM was completely no less the attraction for them. I realized for the first time then that each driver (music routine) had its own quality of sound. Furthermore, through the Internet, I belatedly found out about a number of MML musicians who were active based in BBS via online services: Wiz., Kossetsu Inryo, Ryu Umemoto, Ryu Takami, temmings, longfi, UME-3, wani, etc. Some of them were teenagers like me.

Although I had seen the real Amiga, I watched some children-oriented TV programs like Ugougo Lhuga (1992-1994) in which CG made using tools on the Amga moved about. Sometimes, some of the computer magazines featured articles about “megademo.” But as far as I know, it seems that they did not feature “the demoscene,” but were focused on exotic appearances of individual programs consistently. I did not give thought to access their products on the Internet. In high school, I also miss MOD as a music file format. Once, my junior asked me, “Have you ever heard MOD?” I had no idea what the term meant, and later knew that it referred to a music file format used in Urao Yane’s BM98 released in 1998, which was a freeware inspired from beatmania released by Konami in 1997. To be exact, the format is a script called BMS (Be-Music Script or Be-Music Source file) in which assignment of objects made of wav files and bmp files is described, so it is quite different from MOD as a music file format. In the BMS scene, the work of making a file has been divided into pictures and sounds. This is similar to division of making a product in the demoscene. In other words, there is a concept of profession there. Moreover, in Japan in the late 1990s, tools originate from the demoscene such as Scream Tracker, Impulse Tracker, FastTracker II, MODPlug Tracker, and PlayerPRO were used for making music in the BMS scene, as well as by other PC users. The demoscene was located right by me. And then in 2001, chipmusic site VORC launched, which introduced the term and the concept of chiptune to this country. Ironically, I did not own my PC in the same year.

In the late 2000s, I became interested in a composer who made the soundtrack for a Famicom/NES game called Solstice. Probably, it was a time when he declared that he would retire a video game music composer. What is the man, Tim Follin? Then I began to research him through the Internet, and knew that he had performed tasks on the ZX Spectrum, Commodore 64, SNES, and so on as well as on the NES. His soundtracks for ZX Spectrum games such as Future Games and Chronos using the beeper were things that I had never heard before. Especially, I was greatly attracted to the soundtracks on the Commodore 64 among his musical work. It seemed that he also felt close to the sound chip of the machine – SID (Sound Interface Device). I thought that his statement in an interview was like something crucial: “The thing I liked about computer music, especially on the C64, was that it was like playing an instrument in its own right.” And then, when I listened to Rob Hubbard’s soundtrack for Formula 1 Simulator, a video game for the Commodore 64, a “selection” of SID was imposed upon me. It doesn’t mean that I felt that SID music was superior to tracker music heard on the Amiga and the DOS. First, what was important to me was the resemblance among them. The experience which I had gotten through various MML songs when I was a teenager was repeated there. Later, I realized the “resemblance” came from traits of chipmusic. My concern for SID is like an obsessive question rather than a taste. It is not a matter that I determine which sound is better. What has motivated me is the potentiality supports extent among them. Why does this sound exist here and how have it survived? I started a research on SID music. At the very beginning, I approached certain video game music composers who were considered as “cannons” in the West: Rob Hubbard, Martin Galway, Ben Daglish, Fred Gray, Chris Huelsbeck, Jeroen Tel, etc. And then, irreverently I had come to think that my task was to introduce their musical activities which were not common in Japan. The music of Rob Hubbard obviously transgressed the format of video game music as a formation element within a game, and had forms which requested us to listen in each musical composition as a work (e.g. instrumentation like a band, song duration, and long solo). Autonomy of video game soundtrack, which is effected when contexts within each game and ones come from certain places such as a home or an arcade are reduced. This phenomenon has also been seen in Japan as a number of video game soundtracks have been released on physical medium. An LP titled Video Game Music, which was produced by Haruomi Hosono and released in 1984, led this trend.

I submitted compilations of video game music with SID (VGM Classic) on a Japanese video sharing website called Nico Nico Douga, spending a year from 2008. Firstly, I released compilations consisted of songs produced by Rob Hubbard, Ben Daglish, and Martin Galway, and secondly, compiled further compilations every main developer or publisher in the video game industry for the Commodore 64: Thalamus, Rainbow Arts, Ocean, Elite Systems, System 3, Hewson, Mirrorsoft, Melbourne House, Zeppelin Games, Codemasters, Mastertronic, and Firebird (Telecomsoft). On the way I thought that this was too Euro-centric, so readied for compilations on Epyx, Activision, and LucasArts, however, the additional project never took place at last. Why I adopted this editorial policy rested on the fact that Japanese video game music had its own sound traits every maker such as Konami, Capcom, Taito, and Sunsoft before PCM and streaming technology became mainstream, namely, in the age of programmable sound generators (including FM sound chips) or that of synthesis-based video game music. Particular naming like “Konami sound” and “Sega sound” has a point. Video game music and chipmusic are characterized not only by a handful of talented “authors,” but also by very interesting collectivity or multiplicity. The songs often have anonymity along with/regardless of having producer’s names. The collectivity can come from certain hardware and software for composing music and particular taste in music in a group context. In SID music and the demoscene, I have found various forms of collectivity in activity infrastructures called groups or in tools originated from the demoscene such as Soundmonitor, Music-Assembler, Future Composer, JCH Editor, DMC, and GoatTracker. There are discriminable qualities through perception and knowledge among them. The production of these compilations was a challenging research and an experiment to me. I thought that some composers and songs paid less attention to in the West had to be considered. Because as with SID music was not common in this country, there was also oblivion in the West. Briefly speaking, my aim of producing SID music compilation is vitalization of several contexts and intervention in circumstances.

Meanwhile, I started searching contact points between SID and Japan, or rather, SID music and cultures which I have taken in. This also included intent to provide Japanese listeners attention points on the music. For example, in the 1980s, Ben Daglish and Martin Galway covered songs by Yellow Magic Orchestra. Rob Hubbard also composed a song inspired from Merry Christmas, Mr. Lawrence written by Ryuichi Sakamoto. Strangely, these songs were used in commercial video games. Furthermore, there was a pioneering person like Ryo Kawasaki, who used Commodore 64 for his musical work and even programmed musical application software for the machine in the middle 80s. And I took notice of the fact that the a number of Japanese arcade (coin-op) titles released by companies such as SNK, Taito, Capcom, Irem, Sega, Data East, and UPL had been ported to Commodore 64, ZX Spectrum, Amstrad CPC, and so on. Then I started making ready for releasing compilation series related to this. In 2010, the project finally came out in a different form as a list titled A List of Arcade [Coin-Op] Conversions for the Commodore 64.

But Nico Nico Douga was a closed site in comparison with sites like YouTube and Viemo. Indeed, my projects fitted the purpose to introduce SID music to video game music listeners in Japan, however, gradually I came to feel that my work was unfaithful activity to the resources of my compilations, that is, to HVSC crew, musicians, demosceners, and video game developers of that time. Thus, I slowly began to contact those persons connected with SID music through Twitter, and set up my blog called SID Media Lab. By the way, the greets of Bad Scene Poets Are Back, a C64 demo released by Ate Bit in 2009, refers to my alias, akaobi – but as aki_obi in error. This may be a funny fact now.

Initially, I have learned SID music through an angle of video game music. Because I had to make ready for the massiveness of demoscene music. It’s notable in SID music that music production has been still persistent after commercial video game development had gone cold in the early 1990s. Once I set up my blog, released compilation series consisted of songs had been used for video games included in disk magazines which Markt & Technik and CP Verlag had published. Many authors of the songs were teenage or early twenties demosceners. I realized that there were the acts of programming, making CG, and composing music using home computers as a youth culture in Europe as well as in Japan. And it seemed that the act of youth culture came under pressure to think again not only technical maturing, mannerism, but also the significance in the history in all countries over time. This “sustainability” brings in universal agendas: the death and rebirth of hardware and concepts, authenticity and emulation, and senescence and change of sensation. We are growing old along with video game music, products from the demoscene, and chipmusic. This is irreversible development. In other words, video game music and chipmusic always return as things which are impossible to return. I confront the past in this sense.

Although so-called retrocomputing is active now, people rarely mention Commodore 64 in the country. Nevertheless, I have obsessively referred to topics of the machine. And then in 2012, I talked about SID music for the first time in front of people in a small party organized by sigarami of Tanikugu, playing songs composed by Zardax, radiantx, Dwayne Bakewell, Glenn Rune Gallefoss, DRAX, CreaMD, Intensity, A-Man, and Dane. I met Bun, who also had begun to MML music through Sofcom like me, and hally of VORC there. A few days later, I met former employees of Commodore Japan out of pure luck (I wrote a report titled Back to Commodore Japan about this). Of course, they didn’t know the demoscene, modern SID music, and a device like HardSID which I showed to them then. I understood that asynchronous encounter took time. I also have felt out of place everywhere, any time, however, SID music and Commodore 64 became unshakable matters to me without realizing. So I cannot go away from questions which are faced by the machine.

My poor experiences have produced lines through SID. For example, there is a line between Commodore 64 and Amiga. Some musicians such as Stello Doussis, Keith Tinman, Jason Page, and Barry Leitch worked on both platforms. When I think chipmusic and other things, each line is pressed into service. For instance, I think the following lesson: There are three songs, which were released every around five years: “chipmusic.mod” by 4-mat, “Formula 1 Simulator” by Rob Hubbard, and “Hard Times” by The Human League. Now what do you find among them? Probably you will find something generally called “influence.” The thing is embodied across time and space, and context. This inheritance is not transferred in serial like MIDI signals. “Tradition” is neither linear nor monochroic. When I touched lft’s project called The Chipophone which borrowed Rob Hubbard’s music routine, I understood that the things working on this machine, within him have developed SID music even though expressive styles and materials changed. His way of practice like Reverberations which preceded The Chipophone also kept a distance from SID music remixes in terms of concepts and methods. Some persons like 4-mat and lft have reopened SID music. I detour in order to come close to the music. This is why my own project (blog) SID Media Lab is so discursive.

The songs I made in the past and the machines I used for producing them are not exist anymore. SID music and Commodore 64 turned into an unshakable drive inside me, requiring oblivion for over two decades. Consequently, this is not my memoirs anymore.

Takashi Kawano aka Akaobi/ SID Media Lab

References

KEEN・YAMAMOTO: FM Synthesis Driver MUSIC.COM MML Reference Manual Ver.1.5, LOGINSOFT, 1996
Bio_100% Game Music Archive, 2008
Urao Yane: BMS Format Specification, BM98’s Room Two, 2002 (?)
Hitkey: command memo (draft), doubledepth, 2012-2014
Timothy Forsyth (Squidge): An interview with…… Tim Follin, Computer Music Generation, 1998
Linus Åkesson (lft): Reverberations, http://www.linusakesson.net , 2008
Ibid: The Chipophone, http://www.linusakesson.net, 2010

Takashi Kawano: SID Music Compilations, SID Media Lab, 2008-2014
Ibid: A List of Arcade [Coin-Op] Conversions for the Commodore 64 v.0.02, SID Media Lab, 2012
Ibid: Back to Commodore Japan, SID Media Lab, 2014

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