Interview with JEA (SHARPNELSOUND)

Rethinking of Tracker Music in Japan #1 – Interview with JEA (SHARPNELSOUND)

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DJ JEA (SHARPNELSOUND)
Photographed by 菊☆正宗. © 1998-2015 SHARPNELSOUND Official web.

思い返してみると、初めてDJという行為を意識的に行ったのが18歳のときなので今から16年程前のことになります。当時通っていた奈良高専という学校は突然変な所で寛大で、学科の展示として教室クラブイベントをやっていい、ということになったのです。その経緯はぜんぜん忘れてしまったのですが、Project Gabbangelionのメンバーで学祭開催中の2日間の間、当時ハマっていたMODによるDJやCDウォークマン2台によるDJなどを繰り広げたのです。
DJ SHARPNEL (JEA) / SHARPNELSOUND interview (2011年8月27日公開)

SHARPNELSOUNDのDJ JEAへのインタヴューを公開する。

2013年3月のある週末、山口から大阪、京都へと私は向かった。目的のひとつは、3月23日、京都METROで開催されるパーティ「アニメトロ」に東京から招かれたゲストSHARPNELSOUNDのDJ JEA(当日はDJ SHARPNELとして出演)に会うためだった。何のために? 1990年代中期にヨーロッパからもたらされ――そして2000年以降は音楽制作ツールとして急速に忘却されてゆく――「トラッカー・ミュージック」の実践者と証言者としての彼に、話を聞くためだった。

SHARPNELは変名の多いプロジェクトである。その起源は、1996年、JEA、TANIGON、VICSONによって始動したProject Gabbangelionの開始前にまでさかのぼることができる。当時、トラッカーはサンプラーとシーケンサーの一体化したツールとして認知されつつあり、PGはその「利器」を用いたガバMOD(トラッカーの音楽フォーマットの総称)をホームページから世界に発信していた。JEAはPGで提示したアニメサンプリングとハードテクノの融合――オーガナイザーとしてこれまで三度関わったパーティの名に因んで、そのスタイルを「OTAKUSPEEDVIBE」と呼ぶことも間違ってはいまい――を進展させ、1998年、高速音楽隊シャープネルとSRPCシリーズ(名称はCDのカタログ番号に由来)を始動する。この手法は、2001年、SHAPRNELがDJ SHARPNELへと名を変えフェイズを切り替えた後も驚異的な創作力で継続したのだが、一方でその時、JEAはトラッカーに代わるツールを使用し始める。2013年8月、15年続いたSRCPシリーズは、30作目の『OTAKUSPEEDVIBE』をもって完結することが宣言された。本インタヴューはこのように、期せずしてSHAPRNELの転換期を挟むかたちで行われたものである。

当初はMODとトラッカーとの関連でSHARPNELを再発見することを目的としたインタヴューだった。結果として、1990年代後期、パソコン通信とインターネットをベースに、しばしば電気グルーヴをインスピレーシンとして、またしばしばアニメやゲーム、特撮を動力源として日本各地で実践されたユニークなテクノシーンを跡づけるものになった。インタヴュアーの弱点も目立つが、ネットレーベルなる用語が広まる前の、21世紀前夜のユニークな音楽的地図がJEAによって描出されていると断言する。そのなかでMOD/トラッカー・ミュージックが果たした役割に注目していただきたい。

二年間も待たせてしまったKAZ a.k.a.HIGE(彼なくして京都行きはあり得なかった)とJEAの両氏にお詫びと感謝を申し上げる。新たな事実を提供するものではなく、すべては後発者の「あがき」に過ぎないが、註でミュージシャンの言葉と時代の熱気にせめて応えようと試みた。

* * *

SID Media Lab[以下、SML] 今回は[Project Gabbangelionの前から数えて]実に20年以上におよぶ音楽経歴をお持ちのJEAさんに、音楽的活動の転機をもたらしたとされるトラッカーやMODとの出会い、関わりについてお聞き出来たらと考えております。先日、アニメトロ4周年のイベント終了後、KAZ a.k.a.HIGEさんとともに一度お話させていただきましたが 1、その時の会話をもとに、さらに人名や年などでインターネット上に記録化されていないこと、または消失してしまったことをお聞きすることで、このインタヴューを僭越ながら日本のトラッカー音楽史を跡づけるための資料としたいと思っております。長丁場になるでしょうが、よろしくお願いいたします。

JEA よろしくおねがいします!

SML まず、なぜJEAさんなのか、SHARPNELなのか? という点を明らかにしておきます。日本におけるトラッカー・ユーザーですが、おおまかに次のように分類・整理できるのではないかと思います2

1) 日本国内におけるデモシーン(メガデモ)の最初期の導入者
2) 波平会 3を中心とする、デモシーンの文脈を踏まえたトラック・メイカー
3) ナードコア近辺のトラック・メイカー(1999年2月26日発行『クイックジャパン』Vol. 23特集「ナードコア・テクノの夜明け」4をひとつの転換期とする)
4) BM985をはじめとする、beatmaniaクローンの遊び手
5) VORC6あるいはチップチューン以降のLSDj7、FamiTracker8ユーザー

HIGEさんにご協力いただいて、現在のナードコア関係者の方々がいかにしてトラッカーを見出したのか、当事者に聞いてもらったところ、やはり『クイック・ジャパン』誌の特集はトラッカーの存在を知る大きなきっかけだったようです。特集のなかで、JEAさんはMODPlug Tracker9やImpulse Tracker10を紹介されていますね。日本の雑誌にトラッカーが紹介されるのは非常にめずらしかったはずです。
自分の設けた区別の限界として、殺人ヨットスクール11のC-TYPEさんの命名になる「ナードコア」という名称が「新しい」ものであり、そこからフォロワーが生まれたにしても、2)と3)の層がはっきり分かれるわけではない、という点があります。99年以前にもテクノMODはあったわけですからね。
ただ、(HIGEさんの情報提供によると)LEOPALDON12の高野政所さんもJEAさんとカラテクノ13のBUBBLE-Bさんを通じてトラッカーを知ったそうで、遡っていくとJEAさんが日本におけるトラッカー・ユーザーの先駆者の一人ではないか、ということになるんです。そのような次第で、JEAさんの視点からのトラッカー史をお聞きしなければいけないと思い、アニメトロに馳せ参じました。

JEA ありがとうございます。とはいえ、自分自身も日本人の方の作品からMODの世界を知って入ってきたので、それ以前の奥深い探究者の方達が居たことは事実です。
今回は、自分自身のルーツを探る意味でも大変楽しみにしています。

MOD/トラッカーとの遭遇

SML 早速ですが、トラッカーを使い始めたのはいつになるのでしょう。トラッカーやMODを知った経緯とともに、お話いただけますか。『クイック・ジャパン』でJEAさんはこのように発言されています14

jea 学校[奈良工業高等専門学校――引用者注]で(MODが開発された)フィンランドとかのサイトにつないで、勝手にはじめてたんです。その頃は、ただ自分がこういう音楽が欲しかったから、作ったという感じだったんですけど。

JEA 楽曲制作にトラッカーを使い始めたのは1995年のことでした。ちょうど、Windows95の発売によっていわゆるDOS/Vパソコンが入手しやすくなったことがきっかけです。それまではPC-98シリーズのWindows3.1でMOD4WIN15を使ってダウンロードしたMODを再生していました。

SML MODを知った時から制作までに、時間が空くわけですね。

JEA PC-98ではMODを聞くことができても制作はできなかったので、AMIGAやDOS/Vなどの海外パソコンにはあこがれましたね。

OtakSpeedVibe_v2

OTAKUSPEEDVIBE vol.2 Flyer
© 1998-2015 SHARPNELSOUND Official web.

SML MUAP9816やCM-32L17でも音楽制作されていたとお聞きしてびっくりしました。トラッカー以前の音楽制作環境の遍歴を教えていただけますか。OTAKUSPEEDVIBE  vol. 2 2002東京のフライヤーのプロフィールによると「FM音源やGS音源を使用してテクノ・トランス系BGMを同人ゲームに提供していた」そうですが……18

JEA 同人ゲームといっても今ほどの規模ではないのですが、パソコン通信の「ライブラリ」19で流通するような自主制作ソフトに楽曲を提供したり、MIDIファイルを流したりしていました。
音楽を作り始めたのは高専に入学した1993年頃、PC-98シリーズを購入し、クラスの友人からMUAP98による音楽制作を教えてもらった時からです。
MMLでの打ち込みというと今となってはにわかに信じがたい制作手法ですが、小学生の頃から親のPCで『ベーシックマガジン』[『マイコンBASICマガジン』]20に掲載されていた音楽プログラム(N88-BASIC21のMML22)を延々打ち込んでは再生させて楽しんでいた自分にとって、エディタこそ単純なテキストエディタとはいえ統合された音楽制作環境であるMUAP98は必要十分な環境でした。
また、自分が所有していたPC-9821Ceシリーズは、当時最新のWindows3.1に対応するためマルチメディア強化された音源ボードを積んでいました。(YM2608=いわゆる86音源。FM6音SSG3音PCM1音の豪華サウンド)ですのでOPNで制作されていた方々よりは多少恵まれた環境ではじめられたことも、挫折せずに続けられた理由かもしれません23
PMD24等でKAJAさんのデータを落としてはFM音源の設定パラメーターを解析したりしましたが、しばらくして音楽的趣向の変化と海外のトレンドに触れたことでMUAP98に別れを告げる時が来ます。
ひとつはテクノへの開眼、もうひとつはMODとの出会いです。

テクノへの開眼は「電気GROOVEのオールナイトニッポン(ANN)」25がきっかけでした。
中学1年生頃から重度の深夜ラジオ中毒者だった自分は「はいぱぁナイト金曜日」26、「青春らじめにあ」27、「ヤンタン」28、「サイキック青年団」29、そしてANNと布団に居る時間の大半をラジオに耳を当てて過ごす生活を送っていました。電気GROOVEのANNではおすすめコーナーがあり、そこでは卓球氏が入手してきた新譜を紹介する30のですが、それがテクノとの出会いです。当時16歳位でしたが、それからは、卓球氏が難波ROCKETSで回す(CHAOS WEST)時には必ず出かけてました31
そうなると「自分でもテクノ作りたい!」となるのですが、MUAP98ではどうしても今作りたい音が出せない限界を感じていました。
そこで、エロゲーのBGMを豪華にしたいという欲望もありつつ、購入したのがCM-32L・ミュージ郎Jr[ミュージ朗Jr.BOARD]です。この音源はMT32をベースにした音源で、GM規格制定前の音源のため、標準音源として大ブレイクしていたSC55シリーズとは全く互換性の無い、若干悲しい立ち位置の音源でした32。ミュージ郎での制作はスコアロールに楽譜を置いていくスタイルだったため、MUAP98のコーディング感覚に慣れていた自分にとっては非常に苦痛な作業でした。そこで、DTMソフトをレコンポーザ33に切り替えることで、ステップ入力の快適感と同時にLA音源のシンセエディタを手に入れることができました。この時のシンセエディット体験は今の自分の基礎になっているものと思います。
その後もMC-30334やSC-55mk235など、レコンポーザ・MIDI音源での制作はしばらく続きました。

Recomposer3_Screens

RECOMPOSERV3.0 for PC-98xx
The screenshots by courtesy of 加山。

最初にMODと出会ったのはこの頃で、当時NIFTY-ServeのFGALAM36(たしか…)で活動されていた「yar-3」さん37のMODがきっかけだったように思います。EISA(Enhanced ISA)をテーマにした曲で、声ネタで「エイサ、ホイサ」という感じのすごい曲だったんですが、それはMIDIではできなくて。楽しかったし悔しかったです。

yar-3さんの曲を再生するためにPandA[ Shop]でMOD4WINをレジストし、そこからHornet38を知って、MEGADEMO39を知って…。当時PC-98族だった僕にとってMEGADEMOとCubic Player40は憧れすぎでした。「いつの日かDOS/Vマシンを手に入れてDEMOを堪能し、Cubic PlayerでMODを楽しみまくるぞ!」と思う日々でした。
その思いは、95年にCompaqマークのPentium 75MhzのPCが叶えてくれたのです。

SML 詳細にありがとうございます。16歳にしてクラブで電気GROOVEのDJを聴いていたとは! 93年から95年にかけて、JEAさんのPC音楽環境が劇的に変わっていったことが分かりました。トラッカーにたどりつくまでの間に、いくつかの打ち込み環境を実践しているというのは、非常に興味深いです。今までのお話で既にお聞きしたいことがいくつかあります。
JEAさんも『マイコンBASICマガジン』でMMLを知ったのですね。学校でMUAP98を使って音楽を打ち込んでいたようなMMLユーザーはそのご友人やJEAさん以外にもいましたか。また方はその後音楽活動をされたりしなかったのでしょうか。

JEA 学校の中、主に高専時代でのパソコンの用途としては第一にエロゲー再生機としての役割が多く、その次にプログラミングでした。あまり音楽制作にパソコンを使う、というのは身の回りや軽音楽部などのサークルでも聞かなかったですね。

SML 後になってKAJAさんと何かのイベントでお会いしたことはありますか。他のFM音源ドライバの利用経験はありますか。利用経験はなくとも、FMP41で作られた音楽等を聴いていましたか。

JEA KAJAさんは音楽家として、またエンジニアとして憧れる人の一人ですね。まだお会いしたことはありません。FMPは聞き専でした。BBSから落としてきたMDXデータもPCM86とMXDRVなどを使ってなんとか楽しんでいた記憶があります42。MODと同じくらい、X68000には憧れがありましたね。特にサンプリングを多用多様したアングラなテクノトラックはFM音源のメロディックさとは異なる魅力でした。

SML MXDRVはPC-9801に移植されたものですよね? JEAさんの周囲でX68000を使っている人はいましたか。憧れということですが、当時X68000というマシンに抱いていた印象をお話いただけますか。

JEA パソコン通信でお世話になっていたKamishimo43、namaco land44の方々が68使いで、Hallyさん45も当時知り合った一人です。仙台のFoxyunさん46、Groundzeroさん47も68使いで、独特の世界観に憧れていました。

SML MODとDEMOあるいはトラッカーとDemosceneというのは現在も切っても切り離せない関係ですが、たとえば特に日本では、現在LSDjとFamiTrackerのユーザーの間ではこの文脈についての理解が失われてきているように思います。
ところでいきなりHornetは何を通じて知ったのでしょう。

JEA この話の背景には、前述のP&A[PandA Shop]の存在がかかせません。MOD4WINを日本国内で正式版を入手するにはP&Aという海外シェアウェアの国内代理店からソフトを購入する必要がありました48。P&Aのカタログには、海外BBSの総本山的ライブラリであるHornetのアーカイブデータ集CD「Hornet Archive」49の販売案内があり、そこからMODアーカイブとしてのHornetにたどり着きました。
1995年当時、NIFTY-ServeのFTPゲートウェイを通じてスウェーデンにあるftp.luth.seのHornetフォルダにアクセスしたときの感動はいまでも忘れません。従量課金にビクビクしながらどうしても聞きたいデータをダウンロードしていました。

Panda

P&Aソフトウェア編・著『海外シェアウェアベスト大全』宝島社、1995年4月25日発行
MOD4WINも紹介されている。

SML ところで高専生のクラブ通いというのはありふれたものだったのでしょうか。当時他にはどんなイベントに出かけられていたのか、興味があります。

JEA どちらかといえば特殊だったと思います。奈良の田舎に住んでる高校生が22時頃になって難波に出かけて朝まで帰ってこないという状況は親からすれば心配だったでしょうね。
他にはDo.さん50・gndさん51によるGAMERS NIGHT52、DJ ISHIIさんによるROTTERDAM NIGHT53、EBORA OF GABBA54、EBOLA OF CORE55やHallyさんやKamishimo Recordsさんともつながりの深いnamaco land BBSのオフ会であるNO CARRIERなどテクノよりもハードコア方面のイベントによく出かけていました。

SML yar-3さんがX68000で作られていたMDXを聴いたことはありますか56

JEA これは…タイトルに覚えがあります。でもどんな曲だったか思いだせませんが、当時yar-3さんの音源集めにはかなり勤しんでいたので、探せば残っているかもしれません。

SML Cubic PlayerがMOD4WINより優れていた点とは何でしょう。

JEA なにより再生エンジンの精度がMOD4WINよりもすぐれていたように思います。あとはMEGADEMO級の再生時イコライザグラフィックやファイラの使い勝手などなど。海外MEGADEMO/MODシーンのデファクトであったことも、憧れのひとつでした。

SML 1996年8月に発足したProject Gabbangelion以前もテクノを音楽活動の舞台とされていらっしゃったようですが、アニメをサンプリングの対象とするというのは、当初からアイデアとして存在したのでしょうか。プロ/アマチュアを問わず、音楽の手本となるような人はいましたか。またトラッカー以前と以後で、音楽制作の手法の変化はありましたか。

JEA ドイツではTHE SPEEDFREAKさん57、日本ではHAMMER BROSさん58やOUT OF KEYさん59、ニコニコ殺人団さん60等のレジェンド的先輩方がエッセンス的なアニメサンプリングをされていました。当時はあまり音源が手に入れられず月イチ開催のガバイベントに行っては聞いて楽しんでいました。アニメサンプリング自体は電気GROOVEも昔から行っていますのでサンプリングテクノロジーの成立とともにイチ素材として普遍的なものだと思います。
トラッカーでの制作によっていわゆるDTMシンセでは出せない尖った音が出せるようになったことは大きな飛躍でした。ガバCDを聞いていて単音が鳴っていればすぐにサンプリングしていましたし、キック・スネア・シンセだけでもリリースされている音源と同じような音が出るというのは自信にもつながりました。
他の人のMODからサンプルリップしたりされたりするのも刺激的でしたね。
サンプル名リストの所にSpecial Thanksを書いたりして。

Epsonic by Jea (Project Gabbangelion)

Epsonic by Jea (Project Gabbangelion) playing on Impulse Tracker.

SML tanigonさん61はFastTracker[FastTracker 2、FT2]62を使ってMODを制作されていますが、JEAさんも、トラッカー毎の長所・短所を踏まえて、使用ツールを選択されていたかと思います。JEAさんから見た、トラッカーの特徴を述べていただけますか。

JEA まずPC MODの世界では2つの大きな選択肢がありました。
FastTrackerとScream Tracker[Scream Tracker 3.21、ST3]63です。
FastTrackerはデフォルトでレコーディングモードになっていることからわかるように、演奏感覚に重きを置いたトラッカーだという印象があります。あまり使ったことがないので詳しくは語れないのですが、ステップ入力に慣れていた自分はあまりなじめませんでした。
Scream Trackerは1音1音を制御下において、ステッププログラミングしていくような感覚で打ち込むことができました。
しかしながら、ST3の弱点はサンプルの長さが異様に短い点で、この点を含め改善したのがImpulse Trackerです。
ITはST3の問題点を解決し、スマートなMOD制作環境を提供してくれました。
その後、MODPlug Trackerがリリースされると、VSTエフェクトが使えることからMPTにシフトしDOS環境からWindowsへとシフトしました。

SML いつまでトラッカーは現役でしたか。また、Cubase64が転機となったようですが、JEAさんの周囲ではいつ頃までトラッカーが使われ続けていたという印象をお持ちですか。

JEA 自分のアルバムではSRPC0009『P2P』65がMPTで制作した最後のアルバムになります。2001年頃でしょうか。
周囲とあまり楽曲制作の方法論について議論することはなかったのですが、2001年頃から徐々にDTM人口が増え始めてトラッカーからDAWにシフトする人が増えて行ったような印象があります。

SRPC-0006 + SRPC-0009

左:高速音楽隊シャープネル『』(SRPC-0006) 右:DJ SHARPNEL『p2p ピアッツーピアッ!』(SRPC-0009)
© 1998-2015 SHARPNELSOUND Official web.

SML JEAさんには、ご自身を「トラッカー・ミュージシャン」や「MODミュージシャン」のように考えていた時期はありましたか。

JEA 今でも自分の立ち位置としては音楽家やクリエイターではなく「トラッカー」という気持ちでいます。狭義の意味でのMOD TRACKERという点では、音楽関係の雑誌などに紹介されるときのフックとして紹介いただいていました。

SML 『クイック・ジャパン』の特集は伊藤剛さん66が仕掛人とのことですが、雑誌の刊行以後どのような反響がありましたか。

JEA まずイベントへの出演お誘いが多くなりました。「ナードコア」という括りができたことで僕らの活動を他の人が紹介しやすくなったことはあると思います。

デモシーン

SML デモシーンは音楽活動の上でインスピレーションの元になりましたか。「デモ」の存在はいつ、どこで知りましたか。

JEA DEMOそのものは93~94年ごろにアクセスしたHornetで知りました。PC-98だったため、MODと一緒についてくるexeファイルが実行できずに悔しい思いをしていました。

SML MODではどのような音楽を聴いていましたか。Future Crew67だけでなく、Five Musicians68の面々の作品も聴かれていたようですが。MODとテクノの相性の良さは凄まじく、当時は途轍もない量の音楽作品が生まれていますよね。

JEA ガバ、ハードコアをはじめとしてテクノ系全般を聞いていました。

SML 日本国内でトラッカーを使いこなしていた、あるいは大変ユニークな使い方をしていた方のお名前を挙げていただけますか。

JEA カラテクノさんは世界的に見てもポップなグリッチ系ブレイクコアの走りではないかと思います。『空手ガバ一代』69に収録されている曲がFastTrackerなのですが、とても10数年前の音楽と思えません。

SML Sublevel 370といった、海外の人たちとの交流もあったとお聞きしています。いかにして、そしてどのような交流を持つにいたったのでしょう。

JEA Sublevel3との交流については、出会いの経緯は正直忘れてしまいました。Project Gabbangelionの楽曲はHornetだけでなく、海外のBBSに転載されて広がっていましたので、向こうから連絡があったと思います。彼らのアーティストネームを日本語に翻訳してロゴを作ったりするような交流がありました。

SML 日本国内だとWindoowsで動作するMODPlug Trackerが一番使いやすかったのではないかと思うのですが、JEAさんの周りで、Amigaで動作するトラッカーを使っていた方はいらっしゃいましたか。

JEA おそらく遊びに行っていたイベントに出演されていた方の中にはAmigaを使っていらっしゃるかたもいたとおもいますが、自分の周りではAmigaの存在は確認できませんでした。

パソコン通信からインターネットへ

SML 99年に『クイック・ジャパン』Vol. 23が出た時は、既にインターネットがかなり普及している時期です。それ以前のパソコン通信の時代に、いかにして情報を得ていたか、また音楽活動をしていたか、私自身がその辺りの事情に疎いこともあり、非常に興味があります。詳しくお聞かせ願えますか。

JEA 当時は一般的には雑誌やラジオ、ニッチな情報としてはフリーペーパーが主な情報源だったと思います。自分が環境的に幸運だったのは、電算機と外部ネットワーク(当時はJUNET71)が自由に使え、技術系の人間が集まる高専という学校にいたことです。

 Early Style Of Otakuspeedvibe 1996→1998

Project Gabbangelion『Early Style Of Otakuspeedvibe 1996→1998』(SRPC-0011)
© 1998-2015 SHARPNELSOUND Official web.

音楽活動当時拠点にしていた草の根BBS「泉北ニュータウンネット」はProject Gabbangelionのメンバーでもあるtanigonさん(今でもjazz / houseクリエイターして活動中)がSYSOPを勤めらえていました。そのBBSのオフ会やボードのつながりでテクノ系につよい草の根BBSにアクセスするようになり、コアな方々とのつながりへと広がっていきました。
JUNETを通じたところでは、techno-heads ML72というメーリングリストを通じて「でじび(digital biscuit)」73やNeuronet74、Toy Label75、XROGER76などとの交流がありました。

通っていた高専には95年の段階で64kbpsのインターネット外部回線が敷設され、当時リリースされたばかりのNCSA Mosaic77やNetscape78でネットを徘徊したりFTPでHornetからダウンロードできるようになりました。まだNTTのサイトに「日本の新着情報」という日本国内で公開されたHPへのリンクを都度都度紹介するページがあったころです79
ちょうど自分が17~18歳ぐらいの頃ですね。

SML アニメトロの時はutabiさん80のお名前も出てきて驚きました。X68000での彼らの音楽はどのように映っていましたか。1996年に制作されたと思しきEvangelion Generation.S3Mのテキストを覗かせていただくと、greetingsの欄に[X68000で制作された音楽を発表していた]KAMISHIMO RECORDSが見られますね。引用させていただきます。

Evangelion Generation by jea (Project Gabbangelion)

Evangelion Generation by Jea (Project Gabbangelion) playing on Scream Tracker.

greeting 2…ThunderBass, MadMax, KaoTiX, DeepBass, psc, bogdan, beacon, NiA,KMFM, DJ Skyjump, d5, Z.x, DEN, eddie, Rolling Uchizawa, ALL KAMISIMO RECORDS ARTIST and all composer on #trax

Project GabbangelionからSHARPNEL[高速音楽隊シャープネル]初期の当時の音楽的交流についてお話いただけますか。

JEA Project Gabbangelionが開始したときには、すでにインターネットが家庭からもアクセスできる環境が整ってきている時期でした。活動開始とともにサイトの立ち上げと楽曲の公開を進めていきました。当時のサイトには「GUESTBOOK」という足跡帳のようなものをページコンテンツとして掲載することが標準的だったのですが、そこを見るとハードコアシーンやMODシーンの方々からお名前をいただいていることがわかります。
また、Gabber’s chat roomという1行チャットを併設しており、ここではPGメンバーとビジターのチャットによるコミュニケーションが行われていました。
16年前東京に引っ越す際に、一時的にDJ C-TYPEさん(殺人ヨットスクール)のサイトの中に退避させていただいたのですが、それが今もなお動き続けています。
そういう意味ではインターネット黎明期からウェブ上での活動を行っていることから、ハードコア音楽シーンのインターネットアーリーアダプターの方々との交流が深かったと思います。

SML アニメトロでお話した際、keenさんのお名前が出たと記憶しておりますが、MODal KOMBAT81のkeen yamamotoさんのことですよね。ひょっとして、『ログインソフト』編集部82でアスキーのツクール・シリーズ用の汎用FM音源ドライバ、music.comのMMLユーザー・マニュアルを執筆されていたKEEN・YAMAMOTO さんと同一人物ではないでしょうか83? だとすると、氏もまたJEAさんと同じく、MMLからMODへ移行した方になるわけですが……。

JEA そうなのかもしれません!

SML 惜しくも昨年サイトが完全閉鎖されてしまいました、波平会の近くで活動していた方々とはどのような交流がありましたか。

JEA 波平会は本当にGREATなサイトだったと思います。直接的に交流があったわけではないですが、国内MODシーンというものを形作ったのが波平会だと思います。
当時、日本国内向けで総合情報かつ初心者への解説が丁寧というところは波平会しかありませんでしたし、その視線がスノッブな方向ではなくアンダーグラウンドな面白カルチャーである側面をしっかり捉えて紹介されていたことは、MODを通じて音楽に興味をもたせリスナーからクリエイターとしての道を歩むきっかけを与えていましたし、サンプリングミュージックという文化を日本の中にしっかり位置づけたと思います。

BMS

SML 私がMODという単語を初めて知ったのは、BMSを通してです。HIGEさんも仰っていましたが、同種のツールのコミュニティで興味深いのは、音楽担当とグラフィック担当が分かれていた点です。これは、デモシーンにおける「プロダクト」制作における作業分担に非常に類似しています。JEAさんには、このような日本独自の「シーン」はどのように見えていましたか。

JEA 根底に音楽ゲームの文化を生み出したKONAMIさんという神の所業があって、そこに寄り添いながらもカウンターであるのがBM98という視点で傍から見ていました。個人的には音ゲーに対して深くコミットできていなかったので、常に外側から巨大化していくシーンを見ていたような気がします84
非常に内省的な視点からは、MMLやMOD、BMSといったテクニカルな制約がある環境は、環境的なエクスキューズがクリエイティブに対するモチベーションを後押しする側面があると思います。自分も含めて、その環境の枠の中で成長軸をたどれる事は、とかく自分の作品の出来に凹みがちなクリエイターにとって重要な環境なのではないかと思います。
今は、手軽にある程度高品質なサウンドクオリティが簡単に出せる時代になってきているので、楽曲プログラミングテクニックやセンスもさることながら、デザインやコミュニケーションなどにおける総合的なプロデュース力が問われる時代になってきてる気がします。

SPRC-0030 “OTAKUSPEEDVIBE / DJ SHAPRNEL and V.A.”

DJ SHAPRNEL and V.A 『OTAKUSPEEDVIBE』(SRPC-0030)
© 1998-2015 SHARPNELSOUND Official web.

『SHARPNELSOUND CHRONICLE』

SML 『SHARPNELSOUND CHRONICLE』発行85の経緯を教えていただけますか。

JEA SRPC00013『アニメガバイト!』86をリリースした直後、色々な事情でリリースしていた作品を廃盤にすることになり、ただ無くなるのも寂しいなと思い楽曲解説本を出版しました。当時の時点で15枚程リリースしていた全CDの解説本だったのですが、作ってみると思ったよりもメモリアルな物になりました。そこで、今回SRPC0030『OTAKUSPEEDVIBE』87での一旦シリーズ終結にこれまでの作品を廃盤することなったため、改めて今までに制作した楽曲全ての解説を文章として残そうと思い執筆しています。活動期間がそれなりに長くなったため、全部で300曲以上の解説を執筆しています。

SML 最後に、ありきたりな質問かもしれませんが、JEAさんにとってトラッカーとは、MODとはどのような存在でしょう。

JEA MODとは「すべての音をかっぱらって加工し、世の中に還元できるリサイクル装置」だと思います。
ありがとうございました。

SHARPNELSOUND Official web
SHARPNELSOUND Official Blog
DJ SHARPNEL | Bandcamp

* * *

参考サイト

2015年3月11日現在、閲覧可能なサイトのみ掲載。関係者のホームページ、ブログなどは一部掲載。リンク切れの(Wayback Machineでのみ閲覧可能な)サイトや、註で参照したサイトやDiscogsおよびWikipediaの個別のページは基本的に省略した。

DJ SHARPNEL(JEA) – ザ・インタビューズ
日本のガバ年表
C-TYPE(@djctype) – Twilog
KARATECHNO | Facebook
History of KARATECHNO(BUBBLE-B)
【KARATECHNO】全リリースを振り返る(BUBBLE-B)
BUBBLE-B・m1dyのこれ、食えますか? 第14回第54回第87回第103回第104回
90年代テクノと電気GROOVE,SHOP33 それにまつわる愛憎 高野政所 | next 33 blog
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教科書に載らない日本のガバミニコミ誌カタログ(嘘)1994-2005 | はだしのゲン日記(はだしのゲンデザイナーズ・リパブリック)
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MosaicからChromeまで――Webブラウザ戦争の来し方行く末(吉森ゆき,ITmedia)

What’s demoscene and History of japanese demoscene.(GOT / Eldorado)
Demosceneへようこそ:新春特別企画|gihyo.jp(q)

Breaking the 4-channel barrier – Inverse Phase
A Short History of Hardcore Chipmusic | CHIPFLIP (Anders Carlsson)
A Kick in the Kawaii: Inside the World of J-Core | Red Bull Music Academy (Vivian Host)

Thanks

KAZ a.k.a.HIGE
DJマスター航太 & cafe la siesta
加山。
hizmi
ふーらいぼー
日高良祐
mtm
ファミベのよっしん

 *敬称略


  1. このインタヴューは、2013年3月23日、京都のクラブMETROで開催された、「アニメトロ 4th anniversary SP!!!」終演後に交わされた会話を発端としている。DJ SHARPNELはサカモト教授、okadada、サイケアウツGとともに当日のスペシャル・ゲストとして出演した。アニメトロはMETROで不定期に開催されているイベント。その名が表すとおりアニメソングを主軸としたパーティだが、アニソンDJに限られない出演者とパフォーマンスの幅広さを特色とする。2015年3月20日に6周年イベントを開催。http://www.metro.ne.jp/schedule/2013/03/23/ 
  2. この分類にあてはまらない経路として、P-MODELをメディエータとしたMODの普及があげられる。日本では1990年代より、このバンドが音楽制作にAmigaを利用し、リーダーの平沢進はこのマシンの唱道者としての役割を果たした。一時期は音楽手法と完結した作品システムの観点から「MOD」(「トラッカー」ではないことに注意)について積極的に発言したが、その導入は技術的には主にメンバーの福間創(1994-2000在籍)と、P-MODELのコピー・バンドであるツイフォニウム Zi-phoniumのハスヲとケノ~ビによってなされたものと思われる(https://web.archive.org/web/20031008213035/http://www.zdnet.co.jp/music/dtm_index.html参照)。1997年のアルバム『電子悲劇/~ENOLA』に一般公募のMODファイルが使用されたのをピークとして、P-MODELとMODとの関係性はその後薄れてゆく。平沢自身のAmigaの音楽的使用は、実際はBars and PipesなどのMIDIシーケンサーにこそ重点が置かれており、内蔵チップの音やトラッカー・インターフェースの固有性は問われなかった(http://www.ikebe-gakki.com/web-ikebe/gj_hirasawa-susumu-interview/参照)。MODミュージックという点では、周囲にいたツイフォニウムがそのフォーマットに固有の創造性をより見出そうとしていたかに見える(http://www.eonet.ne.jp/~hasp/MODFILE/INDEX.HTM参照)。 
  3. 波平会―全日本波形平和会の略称(ただし「ナミヘイカイ」と発音する)。N.H.K.とも称される。1990年代後期から2000年代初期にかけて、MODおよびトラッカーに関する主要なポータル・サイトとして機能した。1997年2月11日創設。1999年1月3日正式公開。最終更新は2004年6月6日。MODPlug Tracker(注[9]参照)およびその派生プログラムMODPlug Playerの日本語版も公開していた。サイト運営者の兄弟は、XMフォーマット(MODフォーマットの一種)のファイルだけでなく、X68000用のサウンド・ドライバZ-MUSICで作られた「ネタ」データも公開していた。このように当時の日本のトラッカー・ミュージック・シーンでは、「シリアスに」音楽を作りたいと思うミュージシャンよりも、しばしば彼らのようにジョーク(笑い)をMODに求める人たちが目立つのが大きな特徴である。http://web.archive.org/web/19990222141726/http://www.mars.dti.ne.jp/~odaki/ 
  4. 『クイック・ジャパン』Vol.23、太田出版、1999年2月26日発行 
  5. BM98―やねうらおによってプログラムされた、Windowsで動作するKONAMIのゲーム「beatmania」のクローン。1998年6月公開。NBKとともに考案された音楽フォーマットBMSによって、プレイヤー/ユーザーは自分の用意したサンプル(WAV)と画像データ(BMP)を用いて、譜面データを作成することができた。このフォーマットはBM98の登場を受けて開発された後続のソフトウェアにも採用された(そのひとつ、1999年にT’cubeよりリリースされたX68000で動作するゲームBM68にも、専用のコンバータが存在した)。「beatmania」系ゲームの人気とこの互換性を保った自主制作の自由度により、BM98系ゲームは、90年代末から独自のシーンを形成。この動向はMOD制作と連動しており、当時BMS制作者がトラッカーを使用することはめずらしくなかった。やねうらお自身もまた、このソフトウェアに関して「音楽をMOD感覚で記述出来る」と述べている(http://bm98.yaneu.com/bm98/bm98after.html)。だが彼の発言を読む限りでは、MODがmoddingか、それともmoduleを指しているのかは不分明である。サンプルを操作可能という点でBMSとMODは共通しているものの、その処理方法は異質であり、スクリプト形式のBMSにはトラッカーというインターフェースが関連付けられてはいない。そうではあるが、BM98-MODは2000年前後に独自の関係性を構築した。例えば小林銅蟲のインタヴューを参照(http://pico2culture.jp/rensai/io/2010/0612.html)。 
  6. VORC―ヴィデオゲーム・ミュージックの再考とチップチューンの導入の決定的契機をもたらしたサイト。2001年始動、2008年休止。設立時のメンバー(VORC Group)はHally(News Written)とXORN(Program, Design)。加えて、Do.(Design)、293(Support)がクレジットに名を連ねている。日本のみならず、海外においてもその「二重の」戦略は他に類のないものだった。英語にも対応しつつ、分け隔てなく、かつ細部にわたって国内外の作品やソフトウェアに関する情報を提供しているという点で、きわめて特異なニュース・サイトとして言及されることが多い。この無差別的な好奇心は、海外の後続のチップチューン・ニュースサイトTRUE CHIP TILL DEATH(2007-2012)にも受け継がれた。 
  7. LSDj―2001年にスウェーデンのJohan Kotlinskiがリリースしたゲームボーイ用ミュージック・エディタ。2000年に開発されたinstrumentorをプロトタイプとする。インターフェースの画期性とライブ・パフォーマンスへの対応により、ゲームボーイ・ミュージシャンの自立を世界的に促した。LSDjは先行するトラッカーとの切断をもたらした。これはWindowsあるいはDOS用のトラッカーと、AmigaあるいはCommodore 64などのトラッカーの間に見られる飛躍と異なり、もっと技術的な問題である。Philip Phelpsの提示した概念Hypersequencers(http://www.zenpho.co.uk/PhillPhelps-ChiptuneSynth.pdf参照)を発展させて、トラッカーをSoundtrackersとHypertrackersとに分類する際、Anders CarlssonはLSDjおよびそのインターフェースを継承したLittleGPTrackerをどちらにも該当しないものとして扱っている(https://chipflip.wordpress.com/2012/12/30/soundtrackers-hypertrackers-and-acidtrackers/)。 
  8. FamiTracker―スウェーデンのjsrによってプログラムされた、Windowsで動作するファミコン用トラッカー。ディスクシステム(FDS)や一部のファミコン・カートリッジにのみ搭載されたサウンドチップも使用可能。2005年9月15日、v 0.1.2がリリース。現在も更新を継続。同種のトラッカーのデファクト・スタンダードであり、2015年現在、最もユーザーの多いチップミュージック・ツールのひとつ。 
  9. MODPlug Tracker―1997年にアメリカのOlivier Lapicqueによって開発されたWindows用トラッカー。リリース当初は、IBM PC互換機でなくとも動作するトラッカーとして貴重だった。略称はMPT。対応フォーマットはMOD/S3M/XM/IT/MPTM。その他インポート可能なフォー的多数。2004年、作者の開発停止にともないソースコードが公開され、それ以降はOpenMODPlug Tracker(OpenMPT)に名を改め開発が継続されている(http://sourceforge.net/projects/modplug/)。2007年に独自フォーマットMPMTを導入。現在はVSTプラグインに対応している。MPTおよびそれに連動して開発されたWindows用モジュール・プレイヤー、MODPlug Playerは、1990年代後期MODに関心をもつユーザーにとってきわめて一般的なソフトウェアだった。MPTはまた、西洋のデモシーンやトラッカー・ミュージック・シーンあるいは「ナードコア」の文脈からも離れて、ダンス・ミュージックを制作したいユーザーにとって無償利用可能なDTM(デスクトップ・ミュージック)ツールのひとつとして受容された。その痕跡は1999年にハッチ・エンタテインメント(現在はエイベックス・マーケティング)によって開始されたアマチュア(インディーズ)のための音楽投稿およびコミュニティ・サイトmuzieで確認することができる(http://www.muzie.ne.jp/)。2000年、オンラインソフトェアの紹介サイト窓の杜にチュートリアルが掲載(「後藤智博のダンスミュージックStudio」http://www.forest.impress.co.jp/article/2000/03/17/dancemusic8.html)。曲をWAVファイルに書き出せるため、MPTはBMSシーン(注[5]参照)でも積極的に利用された。2000年前後をリミットとして、SHARPNELを含む「ナードコア」と呼ばれるミュージシャンによってトラッカーというツールそのものほぼ使用されなくなるも、その後彼らのフォロワーとして登場した藤子名人やディスク百合おんによって、OpenMPTは音楽制作ツールとして取り入れられた。 
  10. Impulse Tracker―オーストラリアのJeffrey Limによってプログラムされたトラッカー。1995年にリリースされて以降、Scream Tracker(注[63]参照)とFastTracker 2(注[62]参照)とともに、DOSトラッカーのシェアを争った。この併存状況は日本でも変わらなかった。これら3つのトラッカーのなかでは最多のチャンネルと最高のサンプルレートを扱える(64チャンネル、48KHz)。ユニーク・フォーマットのITのほか、MOD/MTM/S3M/XMをサポート。2000年代には、Schism Tracker、BeRoTracker、ChibiTrackerなど、Windowsその他のより新しいOSで動作するこのトラッカーのクローンやその仕様を受け継いだトラッカーが開発された。2014年、アセンブリ言語で書かれたオリジナル・ソースコードが作者によって公開された(経緯についてはhttp://roartindon.blogspot.jp/2014/02/20-years-of-impulse-tracker.html参照)。 
  11. 殺人ヨットスクール―大阪のC-TYPEが主宰するハードコア・レーベル(1992-)。現在まで関西を活動拠点に置いている。当初はMADテープや同人誌の制作を行っていたが、93年よりDJミックスを活動の基軸に据えるようになる。DJ C-TYPEとしてクラブで出演することが多い。95年5月に大阪CAFE BLUEで開催された「GAME MUSIC ONLY CLUB EVENT」ファードラウトに触発されて、草の根BBS namaco land(注[44]参照)をベースに、ゲームミュージックとテクノに特化したクラブイベントNO CARRIERの立ち上げに参画(同年8月29日開催)。SHARPNELSOUNDがオーガナイザーとして関わった過去のOTAKUSPEEDVIBE全てに出演。「日本のガバ年表」の作成者(http://www51.atwiki.jp/nihongabba/)。 
  12. LEOPALDON―1996年、明治大学に在籍中、高野政所のソロユニットとして開始。東映がMarvel Comicsからライセンスを受けて制作した特撮TVドラマ『スパイダーマン』(1978-1979)に出てくるロボットから命名。1998年より、渋田靖の創設したAcid Panda Music(APM)レーベルからレコード(7/12インチ)やCDをリリース(2002年まで)。当時はホームページ上での通信販売のほか、CiscoやShop33などのレコードショップに販売委託を行っていた。同年、秋山智俊のレーベルNeuro Net Recordings(注[74]参照)から『電人EP』をリリース。秋山との協働関係はAPMでも続く。一時期、MODPlug Tracker(注[9]参照)を使用。1990年代後期、nkzm(BUBBLE-B)を介して、東京のクラブ・イベントSPEEDKINGに幾度か出演。その後、韓国のアイドルH.O.Tへの関心から韓国のテクノシーンに接近。同国のテクノレーベルDMS TRAXと契約し、2000年3月にソウルで232COMIT、ヨモギダとともにライブ・パフォーマンスを行った(http://www.tinami.com/x/report/02/page1.html参照)。2001年頃よりDJ JET BARONとしても活動。2004年、自らがオーナーを務めるクラブACID PANDA CAFEを東京でオープン(その後都内で二度移転)。2009年、インドネシアのハウス・ミュージックFUNKOTに出会い、以後日本における紹介者としての役割を果たす。ナードコアとの関連でメディアに登場することも多かったが、このジャンルへの疎外感や、アニメや18禁ゲームなどへの関心が薄かったことも本人から述べられている(https://web.archive.org/web/20030730024543/http://www.japattack.com/japattack/music/leopaldoninterview_j.html参照)。 
  13. カラテクノ―1996年、カラテとテクノのミックスをコンセプトに持つユニットとして、大阪を中心に活動開始。リーダー(当初はソロユニット)のnkzm(2000年よりBUBBLE-Bを名乗る)はTOY LABEL(注[75]参照)の共同創設者。1990年代に、FastTracker 2(注[62]参照)を使用した楽曲のウェブページでMODファイルを公開する(当時のTOY LABELのMODセクションでは、「一、吾々はMODを尊び/謙譲の美徳を忘れざること」という標語が掲げられていた)とともにCDをリリース。トラッカーに用いられるサンプルのサンプルレートとビット深度の低さに由来する「ザラザラ」は、当時Atari Teenage RiotやEC8ORCDを好んでいた彼がまさに求めるサウンド・テクスチャだった。1997年よりSPEEDKINGの名でTOY LABEL傘下のレーベルの運営およびイベントの開催に携わる。同年9月19日に大阪CAFE BLUE開催された第1回SPEEDKINGの出演者は、カラテクノ、Project Gabbangelion、C-TYPE、BITCH HEAD DJ。1999年11月21日、電気通信大学学園祭にて、高速音楽隊シャープネルVSカラテクノ。数度の活動休止期間(2000-2005、2007-2014)を挟みながらも、当初のコンセプトを変えることなくライブとリリースを継続している。 
  14. 『クイック・ジャパン』Vol.23、太田出版、1999年2月26日発行、98頁 
  15. MOD4WIN―ドイツのKay Bruns によりプログラムされた、Windows用のシェアウェアのMODプレイヤー。v2.30での対応フォーマットは、NST/MOD/WOW/OKT/STM/S3M/699/FAR/MTM/XM。最後までImpulse Trackerのフォーマット(IT)には対応しなかった(注[11]参照)。1993年9月にプレ・リリース。同年12月末にシェアウェア・ヴァージョンがリリース。1999年5月開発停止。なお、主要な競合プレイヤーのひとつMODPlug Playerは1996年にリリースされている。http://www.kay-bruns.de/mod4win/ 
  16. MUAP98―大阪のサークルぱっくんソフトにより開発されたPC-9800シリーズ用のFMサウンド・ドライバ。MML記法(注[22]参照)により音楽作成を行う。特に1990年代初期から中期にかけて活発に更新が重ねられた。最終ヴァージョンのリリースは1996年。PC-98×1シリーズの標準的なFMサウンドチップであるYM2203(OPN)およびその後継であるYM2608(OPNA)に加えて、7ch PCMのWindows Sound System(WSS)の処理に対応している。最大同時発音数は17ch(FM6音、SSG3音、PCM7音、リズム1音)。専用のフロント・エンド・プロセッサ(FEP)、エディタ、デバッガ、PCMデータの編集ツールを備えた「統合型音楽制作環境」を実現していた。当初有料であったが、現在は公式ページからバイナリとマニュアルを入手可能。http://homepage3.nifty.com/y_ohta/packen/index.htm 
  17. CM-32L―1989年に発売されたローランドのLAサウンド・モジュール(音源)。先行するMT-32(1987年発売)と同様、パート数は9(内1パートはリズム)、最大同時発音数は32音(パーシャル)。上位モデルCM-64と異なり、PCMサウンド・モジュールは搭載されていない。 
  18. http://www.sharpnel.com/osv/artists.htm参照。 
  19. ライブラリ―データ・ライブラリ。デキストファイルやバイナリファイルを共有可能なオンライン上のストレージ・スペース。 
  20. 『マイコンBASICマガジン』――1982年から2003年まで電波新聞社が発行していたコンピュータ雑誌。80年代から90年代にかけて、BASICプログラム(後にC言語も取り扱った)の投稿雑誌としてのみならず、コンピュータ雑誌として独自の地位を築いた。ゲーム・プログラマのみならずMMLでのサウンド・プログラミングを志向する読者層の支持を得た(古代祐三は一時期、YK-2の名で同雑誌に連載を持っていた)。今もなお「プログラマの原点」として回顧されることが多い。 
  21. N88-BASIC―NECのPC-8800シリーズおよびPC-9800シリーズに標準搭載されたBASICインタプリタ。FMサウンドチップの制御も行うことができた。NECのPCの発展とともに改良が重ねられてきたが、新しいヴァージョンも上位互換性を備えており、この仕様は『マイコンBASICマガジン』(注[20]参照)などに掲載されたプログラム・リストの持続性にも役立ったと考えられる。JEAが使用していたのはMS-DOSでBASICインタプリタとして動作するN88-日本語BASIC(86)だったと思われる。 
  22. MML―Music Macro Languageの略称(諸説あり)。一般にアルファベットで表される音階とコマンドを用いて、テキストデータで音楽作成を目的とする記譜法の一種。転じてこの方法により制作された楽曲もMMLと呼ぶことがある。日本ではとくに1980年代から1990年代にかけて、ホームコンピュータでの一般的な作曲手段として広まったのみならず、商用ゲームの制作にも利用された。『マイコンBASICマガジン』のようなソースコードを掲載した雑誌や、パソコン通信がその普及とコミュニティの確立に大きな役割を果たした。パソコン通信では、独自のMML制作環境(固有の言語を含む)が多数発表され、ユーザーによる曲のオンラインでの配布や、同人サークルを結成して頒布する文化が形成された。2000年代、チップチューンが西洋より紹介された時、「技法」のひとつとして再発見された。今なお日本ではアマチュアによる音楽制作の手法としては一般的なもののひとつに数えられる。http://wikiwiki.jp/mck/ 
  23. 1990年にWindows3.0がリリースされると(日本語版は翌年発売)、1992年より、NECはPC-9801に代わりこの新しいGUIを備えたOSに適したマシンを、PC-9821シリーズとして発売し始めた。1993年5月に発売されたPC-9821 CeにはPC-9801-86相当のサウンドチップだけでなく、CD-ROMドライブも内蔵されており、さらにCRTディスプレイが付属。当時は「マルチメディア」という言葉がコンピュータ雑誌でももてはやされ、拡張なしに多目的な使用が可能な、また大容量のHDDを扱えるPCこそがその目的に適うものとされ、NECはCeのようなホビー志向のPCを98MULTIとして売り出していた。価格は378,000円(税抜)。内蔵HDDにWindows3.1がプリインストールされたモデルは488,000円。 
  24. PMD―Professional Music DriverはKAJA(梶原正裕)により開発されたPC-9800シリーズ用のFMサウンド・ドライバで、MML記法(注[22]参照)を用いてYM2203およびYM2608を制御する。1989年に、当初はPC-8800シリーズのために開発され、その後X68000、FM-TOWNS、IBM-PC互換機にも対応。最終ヴァージョンのリリースは1997年。ゲームへの組み込みに特化しており、そのためのマニュアルも用意されている。実際に商用ゲームや同人ゲームの開発に用いられた。また、フリーランスの作曲家/編曲家である作者自身も仕事にこのドライバを使用している。シェアウェアであったが、現在は登録なしに作者サイトより入手可能。http://www5.airnet.ne.jp/kajapon/ 
  25. 「電気グルーヴのオールナイトニッポン」―1991年6月から1994年3月までの間、電気グルーヴの石野卓球とピエール瀧がパーソナリティを務めたラジオ番組。「オールナイトニッポン」はラジオ局ニッポン放送の深夜番組枠の名称。その時々の若者のカリスマ的存在がパーソナリティを担当することが多い。彼らが影響を受けたクラフトワークなどとは異質のユーモアを備えた電気グルーヴの「カーニヴァル」的側面は、ラジオでも存分に発揮された。一方、「今週のお薦め」で石野卓球が紹介する曲は、貴重なテクノのディスクガイドの役割を果たすとともに、「目利き」としての電気グルーヴを確かなものにした(注[31]参照)。http://ja.wikipedia.org/wiki/電気グルーヴのオールナイトニッポン 
  26. 「はいぱぁナイト金曜日」―「はいぱぁナイト」は、1989年から1996年の間、KBS京都の放映していた深夜ラジオ番組。金曜日のパーソナリティは声優の日高のり子(89年9月まで池田政典)。95年4月より日高は月曜に異動。80年代、日高は「タッチ」「トップをねらえ!」「らんま1/2」など、キャリアを形作るヒロインを着実に演じており、声優としての地盤を固めつつあった。http://ja.wikipedia.org/wiki/はいぱぁナイト 
  27. 「青春ラジメニア」―ラジオ関西の放映しているラジオ番組。タイトルが表すように、アニメ・ファンを対象としている。パーソナリティは岩崎和夫。当時のアシスタントは南かおり。アニメソングを主として、番組内のリクエスト曲は必ずフル・コーラスで流れる。これはきわめて個人的な録音と編集に適した放送形態だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/青春ラジメニア 
  28. 「ヤンタン」―「MBSヤングタウン」はMBSラジオが連日放映している深夜ラジオ番組。吉本興業や松竹芸能の芸人がパーソナリティだった番組を指していると思われる。http://ja.wikipedia.org/wiki/MBSヤングタウン 
  29. 「サイキック青年団」―「誠のサイキック青年団」は1988年から2009年まで、朝日放送運営ABCラジオで毎週日曜放映されていた深夜ラジオ番組。パーソナリティは北野誠と竹内義和。ちなみに当初は「サイキック探偵団」と誤記されていた。北野誠が「探偵」として出演していた朝日放送のテレビ番組「探偵!ナイトスクープ」との混同と想像される。朝日放送は関西ローカル局であり、当時は基本的に、関東で番組を視聴・聴取することはできなかった。http://ja.wikipedia.org/wiki/誠のサイキック青年団 
  30. http://ga2958.sakura.ne.jp/dgdb/osusume/all_night.htm参照。 
  31. CHAOSは田中フミヤをオーガナイザーとするパーティ。1994年6月より、大阪難波ROCKETS でCHAOSWESTの名で開始。 
  32. 1991年に日本MIDI評議会とMIDI Manufacturers Association(MMA)によってGeneral MIDI(GM)という名の統一規格が制定されるまで、MIDIサウンド・モジュールの音色の配列(マップ)や同時発音数などの仕様は、各社により異なっていた。1989年に発売されたCM-32LはGMに則ったサウンド・モジュールおよびSCシリーズに採用されたローランド自身の拡張規格GSフォーマットにも当然対応しておらず、発売数年後に言わば互換性を断ち切られたかたちになる。これはそのハードウェアを用いて制作される楽曲が正確に再生される可能性の減少を意味する。「ミュージ郎」はローランドのサウンド・モジュールと作曲用ソフトウェアが一体化したパッケージであり、SCシリーズ以降もこの名称で販売が続けられた。 
  33. レコンポーザ―カモンミュージックに開発されたMIDIシーケンサー。プロとアマチュアを問わず、MIDIサウンド・モジュールの普及とともに幅広くかつ長く使用されたソフトウェアのひとつ。譜面入力に代わって数値入力でより効率的かつ精密に作曲できることを特徴としていた。当初はローランドがPC-9800シリーズ用に開発したMIDIインターフェースである、MPUシリーズの「コントロール・ソフトウェア」として「カモン・ミュージック」の名で登場した(その後YAMAHAのサウンド・モジュールにも対応)。1998年に発売されたレコンポーザ for Windows98 Lightをもって事実上、開発が停止。2013年11月、カモンミュージックも営業を終了した。 
  34. MC-303―MC-303: Grooveboxは、1996年、ローランドから発売されたシーケンサー。58,000円(税別)。TB-303やTR-808、TR-909などのアナログ・シンセサイザーやアナログ・リズムマシンの後継に相当する。ハウスやテクノで効果的に使用されていたそれらの機材は、サンプルやその音色を模したインストゥルメントがアマチュア・ミュージックで使用される程度には知名度を得ていたものの、製造から歳月が経っており一般入手は難しかった。MC-303は80年代初期のローランド・マシンのリヴァイヴァルのなかで登場した、448という豊富なプリセット音を備えた近づきやすい、ダンス・ミュージックの用途に向いた一体型の機材だった。 
  35. SC-55mkII―1993年、ローランドより発売。1991年に同社のGSフォーマットの制定に合わせて発売されたSC-55から価格を下げ、かつ機能強化が図られたモデル。GSフォーマットで音楽制作を行うための一般的な機材して普及した。パート数は16、最大同時発音数は28音(ボイス)。 
  36. NIFTY-ServeのFGALAM―NIFTY-Serveはニフティ株式会社が1987年から2006年まで運営していたパソコン通信サービス。FGALAMはソフトウェアを扱う総合フォーラムを表す(F-M = Forum, GAL = Gallery)。自主制作されたゲームなどがアップロードされていた。 
  37. yar-3―やあさんはパソコン通信上でMDXフォーマットのデータを公開していたコンポーザー。アニメに関連した曲多数。TV番組やCMなどからサンプルしたデータを用いることもあった。パソコン通信でKamishimo Records(注[43]参照)からもYuki – yar-3 – Yamagata名義で、1995年に2曲リリース。「もちもちねっとのテーマ」――1980年代後期に開局したX68000およびAmigaを扱うパソコン通信ネット「モノホンネット」(その後「もちもちねっと(電脳餅餅網)」に)のために制作――や「AKTERMのテーマ」といったAmiga MODを公開していたことも知られている(https://web.archive.org/web/20060515002031/http://wiki.mochy.com/58.html参照)。 
  38. Hornet―1992年、PCデモシーンで作られたあらゆるプロダクション、データの総合的なアーカイヴとして誕生した(そのなかには、Project GabbangelionのMODファイルも含まれる)。Phoenix(Andy Voss,)、Dan Wright、Trixter(Jim Leonard)、GD(Brett Neely)、Stony(Pim van Mun)、Snowman(Christopher Mann)によって運営された。DemoNewsという名の週刊のニュースレターも発行していたほか、Music Contestというトラッカー・ミュージックのコンペティションを開催。アーカイヴ・データの増加に合わせてデモシーンのプロダクションをまとめたCD-ROMも販売。1998年9月のHoernetチーム解散の際Snowmanが述べたところでは、毎月300ギガバイト以上のファイルがダウンロードされたという(http://www.kt.rim.or.jp/~hisashim/demo/goodbye.ja.txt参照)。合計で7.15 ギガバイトの16,248 ファイルはscene.orgに受け継がれている。https://hornet.org/ 
  39. MEGADEMO―狭義には、Amigaの880KBの容量のフロッピー・ディスク(2DDフォーマット)に収まり、かつ圧縮技術を用いて1MBを超えるデータを有するデモシーンのデモ作品(プロダクション)を指す。西洋では1987年以降この語が用いられるようになった。日本では1990年代中期より、主にDOSのデモ作品を紹介する際に、限られたサイズのプログラムでハードウェアの限界に挑む、コーディング技術を駆使した作品を指すために隠喩的に使用された。現在でもプラットフォームや制作された年に関係なく、デモのことをMEGADEMOと呼び習わすのが通例。この広義の使用そのものは西洋でも認められる。デモとは、リアルタイムで実行される(つまりストリーミングではない)コーディングの技術とセンスの提示(デモンストレーション)、そして自己表現/提示を目的とした、多くの場合非インタラクティヴなプログラムを指す。デモシーンとは、非営利を原則として、グループを主体として各々のデモが、パーティのコンペティションで披露され、評価し合うデモ作品の発表の場であり、1980年代後期にヨーロッパで進展した。日本では1995年に国内初とされるデモSuper realityをリリースしたGolden Weeds Projectの山崎由喜憲や池内英夫らによって著書、雑誌連載、各々のホームページを通して精力的な紹介がなされた。彼らが行ったような紹介を受けて、1990年代後期には、デモシーン固有の音楽制作プログラムであったトラッカーとともに、MEGADEMO(主にDOSおよびWindows用のデモ)はホームページで散発的に言及されるようになった。換言すれば、一般利用可能なツールとしてのトラッカーへの注目とMEGADEMOへの関心は――デモ制作者こそ圧倒的に少なかったが――1990年代後期の日本では密接に関連していた。 
  40. Cubic Player―Open Cubic Playerは、1994年、IBM-PC互換機で動作するDOS用のモジュール・プレイヤーとしてリリースされたフリーウェア。開発はドイツのデモ・グループ、Cubic Team(マニュアルにはPascal (Niklas Beisert)、Felix Domke、Fabian Giesen,、kb(Tammo Hinrichs)、Doj(Dirk Jagdmann)の名が確認できる)。対応フォーマットは、699/AMS/BPA/ DMF/IT/MDL/MID/MOD/MP3/MTM/MXM/OKT/PTM/S3M/SID/UMX/ULT/WAV/WOW/XM(コンパクト・オーディオディスクも再生可能)。Windows用プレイヤーに比べて精度と音質に秀でており、しばしばミュージシャン自身も推奨する古典的なMODプレイヤーとして知られる。 
  41. FMP―FMP-SYSTEMは、ぐぅ(Guu)こと長井理によって1988年から1998年の間に開発された、MML記法(注[22]参照)により作曲を行うPC-9800シリーズ用のFMサウンド・ドライバ。PMD(注[24]参照)とMUAP98(注[16]参照)とともに、1990年代の同ハードウェアでアマチュアに利用された主要なMMLサウンド・ドライバに数えられる。これらのなかでは唯一フリーウェアとして公開されていた。NECのPC-9801-26KおよびPC-9801-86Kサウンドボードのほか、アイドルジャパンのスピークボード(前者の上位互換で仕様は後者に相当)に対応。パソコン通信などを介して知り合ったこのドライバのユーザーによるFMP Music Diskもリリースされた(1994-2009)。高橋大昌(KID)や梅本竜らによって商業ゲームでも使用された。2010年11月、作者によってFMPを大幅に拡張したWindows用ドライバFMP7がリリースされた。http://fmp.jp/ 
  42. MDXは、milk、K.MAEKAWA、Yatsube、Missy.Mによって開発されたSHARP X68000シリーズ用のFMサウンド・ドライバMXDRVの音楽データ・フォーマット。このマシンに採用されたサウンドチップ(YM2151(OPM)とMSM6258)はNEC PC-9800シリーズのそれと仕様が異なるため、そのままではMDXフォーマットを正確に再生することはできない。PC-9801-86相当のサウンドチップとは、まずFMチャンネル数が異なる(8音と6音)。また、X68000では、さらにPCM8(江藤啓制作)というサウンド・ドライバを用いることで、1チャンネルのADPCMの多重化を行うことが可能であった。そのためPC-98ユーザーは、PC-98版のMXDRVに加えて、同じくPCMを多重化させるPCM86(はせがわまき制作)を用いて、PC-9821シリーズに内蔵されていたPCMチップ(PCM61P)をADPCMの再生に利用するなどして、オリジナルのデータに応じてサウンド・モジュールの構成の適合を図ることが求められた。 
  43. Kamishimo―Kamishimo Recordsは、1995年から1998年にかけて、X68000でMXDRVサウンド・ドライバ(注[42]参照)を用いた作品を発表していた関西の「テクノ専門レーベル」。パソコン通信の草の根BBS、Kamishimo Transtation(KMSM0092)をベースに活動。MXDRVのユニーク・フォーマットであるMDXで作品を配布していた。J. Haliyama(梁山人生観、Hally)とT. Kotobuki(壽トモユキ)を中心に創設。その他メンバーにY. Tachibana(293、hex125)、U. Hirokawa(広川歌緋、utabi)、M. Otakiなど。1996年1月13日にX68000を4台使用して初ライブ。2001年にutabiによりMDXフォーマットでアーカイヴ公開。2010年にhizmiにより、MP3およびFLACフォーマットに変換されたファイルも含めて再度アーカイヴ化が行われた(http://most.bigmoney.biz/g0org/music/?cat=52)。2009年、海外のチップチューン・ニュースサイトTrue Chip Till Deathによって同レーベルの曲を含むコンピレーション『FM Ongen Super Maniacs』がLazerbeat(David Adams)主導のもとリリースされた(http://freemusicarchive.org/music/FM_Ongen_Super_Maniacs/FM_Ongen_Super_Maniacs/)。 
  44. namaco land―大阪の草の根BBS。1995年8月24日、C-TYPEとこのBBSの常連の手により、大阪CAFE BLUEで「テクノ&ゲームミュージックイベント」NO CARRIERが開催された。https://web.archive.org/web/19991003163203/http://plaza24.mbn.or.jp/~cabin/ 
  45. Hally―1990年より、X68000による音楽制作を開始。1995年、壽トモユキとKamishimo Records(注[43]参照)を開始。このマシンを用いた組織的な音楽活動の嚆矢であると共に、後にネットレーベルと称されるものの草分けとして知られる。レーベル/グループの停止後、2001年、XORN(Takuji Miyamoto)、Do.(注[50]参照)、293らとニュース・サイトVORC(Video Game Music or Chiptune)(注[6]参照)を始動。西洋からの「チップチューン」という用語/概念の紹介を通して、ヴィデオゲーム・ミュージックへの反省的な視点をもたらすと共に、同時代性のなかでサウンドチップミュージックを位置づけることを可能にした。この実践は2004年に開始されたブログ『Classic 8-bit/16-bit Topics』によって補強された。2002年よりフリーライターとして、『GAMESIDE』を中心に活動。ゲーム音楽配信サイトEGG MUISCやゲームサウンドトラックCDを専門とするレーベル、クラリスディスクなどで、過去のゲームミュージックの資料化にも携わる。2000年代初期には、KA4Uが大阪で立ち上げたクラブパーティMIDI_saiにVGM/chiptune DJとして参加。2002年、OTAKUSPEEDVIBE vol.2で講演。以後、ファミコンなどで制作されたオリジナル曲によるライブ・パフォーマンス多数。SPEEDKINGのコンピレーションにも楽曲を提供している(『SPEEDKING PRESENTS 8bit RAVE』(SPK03)『SPEEDKING VOL.3』(SPK05))。2010年に活動拠点を関西から関東へ移行。 
  46. Foxyun―かんちゃそとも名乗る。高校時代から現在まで一貫して宮城県をベースにハードコア・テクノに携わる。1995年より一人ユニットFoxyunのためにFOXYUN RECORDS(フォッキュンレコード)を始動(1999年にウェブページ開設)。1996年、同人音楽レーベル/サークルXROGER(注[76]参照)に参加。同時にウェブでの活動を始める。彼やXROGERのサイトのホストは、宮城工業高等専門学校のサーバーであった。活動当初の音楽ツールはSHARP CZ-500(X68030)でのZ-MUSICサウンド・ドライバ。テレビやゲームからサンプルするための「ネタ」を探すことを重要な音楽手法に据えていた(http://www.hi-ho.ne.jp/rotter/studio.html参照)。1999年、XROGERの元メンバーとともに八卦商会に参加。レイブイベント電子音楽発表会(1999-2003)にも出演。2004年より、宮城県仙台で年に1,2回開催される野外音楽イベントはんだやレイブの一員。 
  47. Groundzero―Groundzero Organizationは1995年より草の根BBSとして始まった「ハードコアを多用に表現する事を目的とした非営利目的の商業主義団体(Non-Commerical Commericalism Organization)」。X68000で主にZ-MUSICサウンド・ドライバ(西川善司開発)を駆使して音楽制作を続けてきた。hizmiによれば、曲はそもそも、Groundzero BBSの宣伝テクストのおまけだったという。1998年より活動プラットフォームをインターネットに移行。表現スタイルに応じて変名(「仮想参加者」)が使い分けられるのが特徴(http://www.g0org.biz/prof_partici.html参照)。オンラインでのリリースのほか、同人音楽イベントM3でCDを販売。「仮想参加者」のOCHOは94年から98、99年まで、OCHOのハンドルネームでアニメや時事ニュースのサンプルを用いた音楽を草の根BBSで発表していた。過去作品は組織的にアーカイヴ化されているほか、一部はZ-MUSICのソースファイルも公開している。http://www.g0org.biz/main/ 
  48. MOD4WIN(注[15]参照)の正規版を購入するには、最低でも45ドイツマルクを作者の銀行口座に振り込む必要があったが、レジストの代行を請け負っていたPandA International(P&A)に4500円を支払うことで、日本語の取引によってのみFDを入手することができた。申し込み方法は、FAX、電話、手紙、NIFTY-Serveの電子メールの内、どれでもよかった。 
  49. Hornet Archive―正確には、Hornet Archive(注[38]参照)はデモシーンのデモ作品を収めたCD-ROM(『Hornet Underground』)や、MODファイルをまとめたCD-ROM(『Hornet MODs』)を販売していた。エンドユーザーにとって、個別にファイルをダウンロードする手間や通信費のコストを抑えられる利点があるため、このようなコレクションCDのリリースには、当時かなりの意義があった。 
  50. Do.―VORCでデザインを担当。加えて、記事の執筆やトーク・イベントを通して同サイトの活動に貢献した。1995年5月4日、ゲームミュージック系クラブ・イベントの先駆ファードラウトにD.J.Do.として出演。 
  51. gnd―DJ COTTON 、Blasterhead(福田タケシの命名)の名で知られる。日本のハードコア・シーンとチップチューン・シーンの双方にわたって1990年代後期より活動するゲームミュージック・コンポーザー/アレンジャー。滋賀県出身。パソコン通信ではCOTTONを名乗っていた。DJとしても、1995年にゲームミュージック系クラブイベントファードラウトに出演し、1996 年にはTAKとともにSECOND GABBA NATIONのオーガナイザーに携わるなど、クロスオーバーな活動によって特徴づけられる。2000年代より多数のCDをリリース。コミックマーケットへの参加も多い。2002年、OTAKUSPEEDVIBE vol. 2に出演。Chiptune Japan tour 2004 TOKYOのオーガナイザー。1990年代後期の主要なネットレーベルのひとつであり、トラッカー・ミュージシャンが多数参加したmonotonikレーベルからも2004年『Killbots EP』(mtk124)が配信された。 
  52. GAMERS NIGHT―1996年(未詳)、難波ROCKETSにてNEWTYPE GAMERS NIGHT vs. ROTTERDAM NIGHT開催。「DJ ISHII氏やDJ GND (Blasterhead) 氏が出演」(http://www51.atwiki.jp/nihongabba/pages/15.html)。1990年代初期、佐藤大らによって始められた「東京ゲーマーズナイトグルーヴ」(TGNG)との混同に注意。 
  53. ROTTERDAM NIGHT―1990年阿木譲によって立ち上げられた大阪のクラブMathematic Modern(M2)でDJ ISHIIにより開催される。電気グルーヴの石野卓球もこのパーティで「ロッテルダム・テクノ」(ガバの変種)に出会ったひとりであった。彼が1992年10月27日、当時パーソナリティを務めていた全国ネットのラジオ番組「電気グルーヴのオールナイトニッポン」でRotterdam Termination SourceのPoingをかけたことから、このジャンル=名称が加速度的に広まった(http://ga2958.sakura.ne.jp/dgdb/osusume/all_night.htm参照)。1993年、このトラックを含むRotterdam Recordsのコンピレーション・アルバム『ロッテルダム・テクノ・イズ・ハード・ハード・ハード!!』がAvex Traxより発売された(石野卓球が解説を寄稿。原盤のリリースは1992年)。このようにガバあるいはハードコア・テクノの定着とヨーロッパ・シーンとの共振において大きな役割を果たしたパーティである。また、阿木は1993年に大阪でCAFE BLUEをオープンしている。 
  54. EBORA OF GABBA―DJ ITOによって、大阪難波ROCKETSで1995年9月29日最初のパーティが開催。「EBORA」が正式名称。フリーペーパー『裏口入学’83』第6号に言及あり(http://b.nawotosuzuki.com/?day=20130718参照)。後、EBOLA OF COREと名を改める。2012年12月28日、大阪TRIANGLEでThe EBORA OF GABBA RETURNS開催(https://web.archive.org/web/20130527130506/http://ebora.org/参照)。 
  55. EBOLA OF CORE―注[54]参照。 
  56. https://web.archive.org/web/20010426155947/http://yar-3.net/d/?20010101参照。 
  57. THE SPEEDFREAK―ドイツのMartin Dammのユニット。1990年代初期より活動。1994年、Claudius Deboldらとハードコア・テクノ/ガバに特化したレーベルShockwave Recordingsを立ち上げる。日本では「ロッテルダム・テクノ」として輸入されたオランダのガバ・シーンへの注目の高まりとともに、その名が知られるようになった。「うる星やつら」などの日本のアニメのサンプリングでも知られる(http://ameblo.jp/x-hard/entry-10056770483.htmlおよびhttp://digibi.com/digibi/D24/d2404.html参照)。「電気グルーヴのオールナイトニッポン」(注[25]参照)でも石野卓球がお薦め曲として彼の曲(「Open Doors」「Tadpole」)をかけたことがある(http://ameblo.jp/x-hard/entry-10056660424.html参照)。1995年12月、初来日を果たしている。『クイック・ジャパン』Vol. 23には、1999年1月9日のライブ・レポートが掲載されている。JEAが活動初期から影響を受けているミュージシャンであり、2002年3月1日、日本國民とSHARPNELSOUND によってオーガナイズされたOTAKUSPEEDVIBE vol.1にもゲストDJとして招かれた。 
  58. HAMMER BROS―BIG THE BUDO(shitb、現みち)、DJ Lib(現LIBRAH)、Tazujin Bombの三人からなるユニット。1994年結成。東京を拠点に活動。日本のガバ/ハードコア・シーンの草分け的存在と言われる。みちは1995年よりGENPRODUCTION/KAK-A Recordingsレーベル主宰。1980年代、ハドソンの広報という役割を越えて家庭用ゲーム業界のタレントとしての知名度を確立した高橋名人と、中沢啓治による原爆体験を描いた漫画『はだしのゲン』を主要なモティーフとする。1995年に創刊された、伝説的なフリーペーパー(ミニコミ)『裏口入学’83』の鮮烈なコラージュのイメージによっても記憶されている(ナヲトスズキ(注[60]参照)の手によりPDF化されている。http://b.nawotosuzuki.com/?cid=8参照)。それが転じてみちは『はだしのゲン』の公式サイトの管理人になるなど、アンダーグランドかつアクロバティックな活動形態によって特徴づけられる。 
  59. OUT OF KEY―1993年、和歌山県で結成されたガバ・ユニット。関西のハードコアテクノ・シーンの草分け。1994年、メンバーのSIMA、WAXHEADを含む3人で、大阪をベースにフリーペーパー『WAX』を創刊。洗練されたデザインとして知られる。同年、兵庫県神戸Fiber Zoomで開催されたNASA2でHAMMER BROSのBIG THE BUDOと共演。1995年、フランスのEpiteth Rec. から『Trans Killer』(pth003)を、 SPEEDFREAK (注[57]参照)のレーベルShockwave Recordings から『Hammer Bros vs Out Of Key – Vol. 1』(SH-1616)をリリース。「裏口入学’83」第2号にアンケート形式のインタヴューが掲載されている(http://b.nawotosuzuki.com/?day=20130622参照)。 
  60. ニコニコ殺人団―1994年よりアンダーグラウンドで活動するナヲトスズキが活動初期に用いた変名。数々の変名を使い分け、1995年にイタリアのテクノレーベルACVと契約に始まり(デビューは翌年)、海外でのリリースも多い。日本のハードコア・シーンの証言者としての側面も持つ(http://b.nawotosuzuki.com/参照)。2002年、OTAKUSPEEDVIBES vol. 2にSmily Slayersとして出演。 
  61. tanigon――1996年、JEA、VICSONとともに奈良県でProject Gabbangelion(PG)を結成。当時は奈良工業高等専門学校の学生だった。1998年にユニットがJEAを中心に高速音楽隊シャープネルとして一新するまで在籍。使用ツールはFastTracker 2(注[62]参照)。プレイヤーで再生時に容易に見ることができる、これらのMODに埋め込まれた内部テキストには、ホームページのURLやE-Mailアドレスとともに、CDの告知が含まれていた。PGに限らず、後に「ナードコア」と呼ばれるアニメやゲームのサンプルを使用したガバを制作していたミュージシャンの活動形態はしばしばCDとライブがセットになっていた。PG以降はドラムンベースの影響を経てジャズに傾倒。ジャズ・ピアニスト、トラックメーカー、DJとして現在に至る。2009年よりついったー東方部として東方Projectの同人イベントにもしばしば参加している。2012年にトラックメーカーの100-200とともにアルバム『Crossbreed』(SSCD-002)をリリース。近年、京都cafe la siestaでプログラマーズナイトを主宰。 
  62. FastTracker 2―スウェーデンのデモ・グループTritonのMr. H(Fredrik Huss)とVogue(Magnus Högdahl)によってプログラムされ、1994年にリリースされたDOS用トラッカー。しばしばFT2と略される。1992年に前身となるFastTrackerが同グループからリリースされているが、「FastTracker」と表記される場合は大抵FT2を意味する。DOSトラッカーのデファクト・スタンダードであり、1990年代後期のWindows OSの普及のなかで、トラッキングのクロス・プラットフォーム環境の構築に大きく貢献した。MOD/S3M/ STMフォーマットをサポート。1999年に制作者によって開発停止が宣言されたが、このトラッカーのフォーマットXMは、1990年代後期以降の主要なWindows用(その他のより新しいOSにも対応)トラッカー、MODPlug Tracker(注[9]参照)(1996-)およびMilky  Tracker(2005-)に採用されていることによって、また、XMフォーマットの再生に特化したWindows用モジュール・プレイヤー、XMPlay(1998-)などの登場によって即座に廃れることを免れた。また、そのインターフェースとキーマップは後続のトラッカーの開発に影響を与え続けている。日本ではMOD/wRの山内(yamauchi)によってマニュアルが翻訳された(http://www2.tky.3web.ne.jp/~yosshin/mod/ft2man/index.htm参照)。 
  63. Scream Tracker―Future Crew(注[67]参照)のPsi(Sami Tammilehto)がグループのデモ制作のために開発したDOS用トラッカー。フォーマット名はS3M。1990年に一般公開。最終ヴァージョン(v.3.21)は1994年にリリース。16チャンネルのPCM(22KHz、8bi)に加え、16チャンネルのFM(OPL2/3/4)が扱えた(AmigaのMODフォーマットは4チャンネル、8KHz、8BitのPCM)。西洋における、DOS環境で可能な多チャンネル化、高音質化を印象付けた代表的なトラッカー。日本においては、FastTracker 2(注[62]参照)やImpulse Tracker(注[10]参照)とともに、西洋に端を発するトラッカーの存在を知らしめ、かつ実際に使用することができた(ほぼ)最初のソフトウェアのひとつ。 
  64. Cubase―ドイツのSteinberg Media Technologiesが1989年より開発するMIDIシーケンサー。1987年のAmigaでのUltimate Soundtrackerの登場に先立ち、1985年にMacintosh用のPerformer(Mark of the Unicorn開発)に始まり、MIDIシーケンサーソフトがホームコンピュータ用の作曲ツールとして台頭した。CubaseはPerformer、Opcode SystemsのVision、C-LabのLogicとともにこの種のソフトウェアの主流の形成に貢献。Steinbergは自社ソフトウェアのために、新技術Virtual Studio Technology(VST)を導入したCubase VST for Mac3.0を1996年にリリース。これによりソフトウェア・シンセサイザー、エフェクタ、ミキサーを兼ね備えた統合的な作曲環境の可能性が開拓され、今日、DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)と呼ばれるものの基礎を形作った。日本でも1990年代後期から徐々に一般的なツールとして浸透した。 
  65. ポッドキャスト番組「BUBBLE-B・m1dyのこれ、食えますか?」第54回(http://blog.livedoor.jp/speedkingprod/archives/52010972.html)にゲストとして登場したJEAが話すところでは、トラッカーを使用していたのは2000年の高速音楽隊シャープネル名義での最後の作品『Endless Summr』(SRPC-0006)(http://www.discogs.com/高速音楽隊シャープネル-Endless-Summer/master/105910)および翌年にリリースされたDJ SHARPNEL名義の第1作『p2p. ピアッツーピア!』(SRPC-0009)(http://www.discogs.com/DJ-Sharpnel-P2P-ピアッツーピアッ-/release/1783539)までとされている。 
  66. 伊藤剛―漫画評論家。2000年前後、ナードコアのフォロワーとして、出版・放送メディアを介してアンダーグラウンドな音楽活動の顕在化に貢献した。『クイック・ジャパン』vol. 23の特集「「ナードコア・テクノ」の夜明け」のメイン・ライター。彼のような「発見者」にとって、ナードコアは「新世紀エヴァンゲリオン」(1995-1996)や諸々の社会的事件を契機とする2000年代前後の「オタク」の反省的契機のなかで、従来の商業漫画・アニメ業界や同人文化から派生した変異/新たなサブカルチャーとして見られていたように思われる(http://www.tinami.com/x/report/02/page1.html参照)。 
  67. Future Crew―フィンランドのデモ・グループ。1980年代から1990年代中期まで、PCデモシーンで活動した、当時の代表的なグループのひとつ。1993年、同年のAssemblyで首位を獲得したSecond Realityは、古典的なデモとして今もなお不動の地位を占める。Purple MotionとSkavenという専属のミュージシャンがいた。1990年、彼らが音楽制作に使用していたグループ内製ツールScream Trackerが公開された(注[63]参照)。 
  68. Five Musicians――1990年代後半にデモシーンを中心に活動した多国籍的な音楽グループ。FMと略される。メンバーはBasehead、Big Jim、Hunz、Jeroen Tel、MD、Necros、Stalker、Vic、Zodiak、Purple Mortion。いずれもスキルを備えたトラッカー・ミュージシャンとして名高い。インターネット・サイトを持っていたことから、当時彼らの音楽作品をフォローするのは難しくなかった。インターネットという新たなプラットフォーム上で、デモシーン・ミュージシャンはいかに自立的な活動できるのか、可能性と方向性を与えたグループのひとつ。 
  69. http://www.discogs.com/Karatechno-空手ガバ一代/release/1075054 
  70. Sublevel 3―ノルウェーのデモ/ゲーム・グループ。メンバーのBeacon(Christian Stigen Larsen)はdr_jungle_beacon_remix.s3mとan_acerbic_study_of_sounds.s3mでJEA(Ryuta)にgreetsを送っている。前者のインフォにこのような言葉が確認できる。「the sugoi nihonjin (cooljapanese dudes) Ryuta and Hikaru (sugoi ongaku ne?)」(Hikaruはおそらくtanigonのこと――JEAの教示による)。また、メンバーのKeiichi(Geir Friestad)は、ホームページで日本のアニメーションにも言及しており、音楽以外に共有可能な話題もあったと考えられる(https://web.archive.org/web/19970605211803/http://muumuu.origo.no/)。 
  71. JUNET―Japan University NETworkの略称。1984年から1991年の間に存続した、学術機関同士の情報共有を目的としたコンピュータ・ネットワーク。日本におけるインターネットの先駆的モデルとされる。当時東京工業大学総合情報処理センター助手だった村井純がアメリカ国防省のAPRANETに触発され、慶応技術大学とのネットワークを確立。これは正規の手続きを経ないものだったが、結果的に非公式の実験的ネットワークとして政府にも「半ば」容認された。最終的な参加機関は600から700にものぼると言われている。インタヴュー中のJEAの述べるJUNETは、実際にはおそらく1991年の終了後、局所的に存続していたものを指していると推測される。[2015/03/13:実際に利用していたのはfjというニュースグループであったと本人より追記があった。fjは当初、JUNETのネットニュースのグループ階層名であったが、後に独立して運営されるようになり、JUNET終了後も継続していた。] 
  72. techno-heads ML―1994年9月に始まったテクノ・ミュージック専門のメーリング・リスト。秋山智俊、オダタケツが創設者として知られる。当時、メーリング・リストはネットを介して可能な、貴重な情報交換手段だった。1995年3月、同MLを中心としたメンバーによる最初のパーティ、in dust realが開催された。2014年は10月25日、20周年イベントが東京都内で開催された。 
  73. でじび(digital biscuit)―1994年、野口春美の手により始められた「テクノフリークのためのフリーマガジン、デジビ」。アンダーグラウンド・シーンの渉猟と簡潔かつ軽妙なディスク紹介を特徴とする。日本のシーンも積極的にフォローしていた(そのなかにはNeuro Net Recordings(注[74]参照)やToy Label(注[75]参照)も含まれる)。アニメやゲームの話題も多い。最終号Vol. 26の発行日は1996年10月1日。「お知らせ」によると、Vol. 8の時点では、渋谷、吉祥寺の3店舗でのみの配布であったが、Vol. 26では大阪、名古屋、仙台のレコード・CDショップを含む7店舗での配布になっている。ウェブページでバックナンバーを公開。http://www.digibi.com/ 
  74. Neuronet―Neuro Net Recordings(NNR)は日本のインターネット・ミュージック・レーベルの草分けとして知られる。秋山智俊、Satoshi Taneda、Satoshi Taneda、Yasuhiro Tomita、力武健次(JJ1BDX)、オダタケツ、Jun Ebihara、平林真実、Tetsuo Komakiらによって運営されていた。「ジャンルはとくに限定しませんが、基本的には「あなたがテクノと考えるもの」」という条件で、デモテープを募集していた(http://www.tama.or.jp/~mute/nn/info.html参照)。レーベルの主なリリースはそれら送られてきた曲をまとめた『活動電位』という名のコンピレーション・シリーズ(1994- 1999)。また、日本のインターネット・アーカイヴの先駆的な試みのひとつとして、カタログを組織的にウェブページで公開。ネットワーク上での自由な活動を本体として、政治的なステイトメントを明らかにしていた。2004年、P2PソフトウェアWinnyの開発者である金子勇(ハンドルネームは47)が著作権侵害行為幇助で逮捕された際、力武は抗議を目的にアーカイヴの公開を停止。現在は運営者の手でCC BY-NC-ND 3.0ライセンスのもと、Archive.orgにアップロードされている(https://archive.org/details/NeuroNetRecordings)。レーベル唯一のCDリリース『Neural Network Volume1』は、techno-heads ML(注[72]参照)の同年度のベスト作品(CD部門)の第4位に選出されている(http://www.tt.rim.or.jp/~naoz-i/thmp96.cd.html参照)。1998年と1999年にインターネット・ラジオNeuro Net Radioを配信。秋山はレコードのリリースやイベントを通して、LEOPALDON([12]参照)を世に送り出した人物としても知られる。 
  75. Toy Label―1994年、『キーボードスペシャル』(立東社)のトレード・コーナーを介して知り合った京都の小野寺隼平と滋賀県(生まれは京都)の中島敦(nkzm、BUBBLE-B)によって設立された。前者の家に雑誌を通じて種々雑多なテープが集まることから当初は「トイレレーベル」という名だった。カセットテープとCD-Rを販売するだけでなく、デモテープも募集していた。『Digital Biscuit』(注[73]参照)にも度々取りあげられている(http://www.digibi.com/digibi/D17/d1701.html)。旧作の一部は平林真実(現・情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授)の協力のもと、リアルオーディオ・フォーマットで配信していたのも特色。カラテクノのアルバムはすべてこのレーベルからリリースされている。SPEEDKING PRODUCTIONSはカラテクノ(注[13]参照)のリリースを中心としたnkzmの主宰するサブ・レーベル。彼はMODに関するオンライ・マガジン「MODern MOD MODels」も発行していた。小野寺はAsohgi名義で2009年よりAnecdoteのレーベル・オーナーを務める。2007年、レーベルの作品を集成したDVD『TOY LABEL ARCHIVES 1994-2007』がリリースされた(http://www.discogs.com/Various-Toy-Label-Archives-1994-2007/release/2548455)。 
  76. XROGER―宮城県仙台の「同人電子音楽レーベル」(https://web.archive.org/web/19991008003523/http://medesima.miyagi-ct.ac.jp/~hikaru/XROGER/参照)。1996年、三人のメンバーで始動。ゲームやアニメなどの「ネタ」系サンプルを使用したガバ/ハードコア・テクノを特色としていた。ysanoによれば、レーベル名はHP-UXなどのUNIX OSに付属のスクリーンセーバに由来するという。英語ページで国外販売も行っていた。1998年(その前の説もあり)、関係者により仙台市内のアーケード街でゲリラ・レイブを開催。1999年8月21日の解散レイブをもってXROGER LABELとしての活動を終了。より計画的な音楽作品の配給とレイブの実施を目的とした同人音楽サークル八卦商会が元メンバーによって設立された。彼らの試みはさらに「はんだやレイブ」(2004-)として定期開催される、大規模かつ多ジャンルな野外音楽イベントへと発展した。 
  77. NSCA Mosaic―インターネット黎明期の代表的なブラウザ。1992年、アメリカのイリノイ大学付属の米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NSCA)の学生Marc Andreessenらが開発に着手し、翌年リリースされた(無償配布)。世界で初めて、画像とテキストのインライン表示を可能にしたウェブブラウザとして知られる。対応OSはUNIX/Windows/Mac。MicrosoftはSpyglassからライセンスを受けてMosaicのコードをベースにInternet Explorer 1.0を開発した。 
  78. Netscape―Netscape Navigator 。1994年10月、Netscape Communicationsによって公開(β版)されたウェブブラウザ。同社は1994年3月、NSCA Mosaic(注[77]参照)の開発者Marc Andreessenら6人によってMosaic Communications Corporationを母体とする。Mosaicとは異なり、当初は販売を目的に開発された(1998年以降無償化)。2008年2月、最終ヴァージョンが公開。 
  79. 1993年12月1日、日本電信電話(NTT)は自社のホームページを開設。そこには「日本の新着情報」と題された、ウェブページ紹介コーナーがあり、掲載を申請することができた。これはインターネット黎明期における主要なウェブページの宣伝方法と探索方法のひとつであり、実質的に日本初のポータル・サイトだと言える。2000年9月29日、サービス終了(http://www.searchengine.jp/参照)。 
  80. utabi―Utabi Hirokawa(広川歌緋)。他の名義にKamishimo K.G.、Yumkey Periodなど。 1990年代後期、Hally(注[45]参照)の協力のもとX68000とMXDRVで音楽制作を開始(それ以前に、小学生の頃は『マイコンBASICマガジン』(注[20]参照)に掲載されていたYK-2の連載を読んでいたという)。1997年より、Kamishimo Records(注[43]参照)からオリジナル曲をMDXフォーマットで発表。2001年、ホームページで同レーベルのアーカイヴを公開(http://www40.tok2.com/home/vorc/ura/cgi/log_reader.cgi?cmd=cate&cate=MDX参照)。2002年、東京のエレクトロニカ・レーベル19-t(19頭身)のコンピレーション『apa』(spy001)と、Com.Aとshiro.m(Shiro The Goodman) の共同運営するROMZレーベル(2001-)よりリリースされた初のサンプラー『Let’s I Love You』(rmz-003)に曲が収録される。同年、前者(appa cotch)を含む、1997年から1999年の間にX68000で制作した曲を1stアルバム『Chiped Plastic』としてKamishimo Recordsよりリリース。2004年、後者(Wabe Ladder)を含む2ndアルバム『Manchurian Candy』(spy005/ADA0003)を19-tおよびUKのレーベルAD AAD ATよりリリース。殺人ヨットスクール(注[11]参照)のコンピレーションにもHallyとともに参加(『From Poolside』(MYSC-010)および『Swimsuit Squad』(MYSC-013))。19-tのメンバーであるcow’pやshexとの共演も多い。2010年、hizmiにより過去作品のアーカイヴが公開(http://www.g0org.biz/main/?p=418)。 
  81. MODal KOMBAT―keen yamamotoによるMOD専用サイト。トラッカーおよびMODの紹介の他、自作MODを公開していた。ブックマークは広範なサイトをカバーしている。1997年6月7日設立。最終更新日は2002年8月26日。http://homepage1.nifty.com/keen-y/ 
  82. 『ログインソフト』編集部―アスキー(その後エンターブレインに移行、現KADOKAWA)が発行していたコンピュータ雑誌『ログイン』(紙媒体としては、1982年5月から2008年5月まで存続)の関連編集部。同社がリリースしていた「ツクール」と称されるアマチュア向けのゲーム開発ツールおよび「ツクール」コミュニティの支援のため刊行された『ログイン・ソフコン』(1994年-1997年3月)を編集業を行っていた。 
  83. KEEN・YAMAMOTO with LOGINSOFT編集部: FM音源ドライバーMUSIC.COM MMLリファレンスマニュアル Ver.1.5、LOGINSOFT 、1996 http://wangzhi.hatenablog.jp/entry/2012/01/28/233554 
  84. 2013年、Konamiの「beatmania」シリーズの後継である「SOUND VOLTEX II -infinite infection-」に、DJ SHARPNEL feat みらいとしてオリジナル曲「つぶやき魔法少女りむる」を提供(http://www.sharpnel.com/archives/924参照)。 
  85. 『SHARPNELSOUND CHRONICLE』―2015年4月26日に開催される同人即売会M3(M3-2015春)で頒布予定。 
  86. http://www.sharpnel.com/srpc0013.htm 
  87. http://www.sharpnel.com/archives/971 

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