Power Users and Retro Puppets by Anders Carlsson

* This article is written in both English and Japanese.

goto80ことAnders Carlssonが、2010年ルンド大学に提出し、2013年に一般公開された修士論文「パワー・ユーザーとレトロ・パペット――チップミュージックにおける手法と動機の批評的研究」の全訳を公開します。
彼はスウェーデン出身のチップミュージック、テキストアート、デモ等「ローレゾ・クラフト」の制作者と同時に研究者でもあって(プロフィールを参照)、この論文にはその幅広い活動がいかんなく活かされています。音楽制作、DJ、ソフトウェア/ハードウェア開発、普及活動(サイト運営、パーティやワークショップの開催、イラスト制作、グッズ制作、ブログ記事執筆等)、リスニング、そして研究調査、あらゆるレヴェルでチップミュージックに関わる人全てが、この音楽、チップミュージックを吟味するのに不可欠な文献であると確信します。また、この論文は電子音楽史においてしばしば看過されてきたチップミュージックを再考し、その意義を再測量することにもつながるはずです。その目的の一環として、「チップミュージックは進行している」と題したイントロダクションを記します。
翻訳を許可してくれ、いつも私を魅惑的かつ根源的な問いへ駆り立ててやまないAndersに感謝します。

I have translated completely the master thesis “Power Users and Retro Puppets – A Critical Study of the Methods and Motivations in Chipmusic” written by Anders Carlsson a.k.a. goto80 into Japanese that he submitted to Lund University in 2010 and then everyone was allowed to read in 2013.
He is a maker and researcher of the “low-res crafts” such as chipmusic, text art, and demos (see this profile), and this thesis is made every use of his vast range of activities. I believe that this literature is indispensable to all people have to do with chipmusic in all levels such as making music, DJ, developing software/hardware, promotion activities (e.g. running news site, holding party and workshop, creating illustration, making chipmusic-related stuff, writing blog article, etc.), listening, and research so that they critique the music, or chipmusic. Also it is to lead to reconsider chipmusic which has often been pretermitted in the history of electronic music and remeasure its significance. I have wrote an introduction titled “Chipmusic in in progress” as part  of the purpose.
I greatly appreciate Anders who gave permission for the translation and always provoke me to fascinating and radical (fundamental) questions.

・原文 Original text

Anders Carlsson: Power Users and Retro Puppets – A Critical Study of the Methods and Motivations in Chipmusic (Lund: Lund University, 2010)

・翻訳 Translation

Anders Carlsson「パワー・ユーザーとレトロ・パペット――チップミュージックにおける手法と動機の批評的研究」(ルンド大学、2010年)
Download from OneDrive or Google Drive

※上記のOneDriveとGoogle Drive、どちらのリンク先からでもドキュメントの閲覧、ダウンロードが可能です

Anders Carlssonがインタヴューを行った10人のチップミュージシャン
10 chipmusicians were interviewed for the thesis

Alex Mauer
Official site
Alex Mauer’s music [Bandcamp]

Ed
Ed/Wrath Designs [CSDb]

Gijs Gieskes
Official site

Jeremiah Johnson (Nullsleep)
Official site
8bitpeoples

little-scale
blog
little-scale’s music [Bandcamp]

Linus Åkesson
Official site
Lft/Kryo [CSDb]

Marc Nostromo (m.-.n)
Official site
Marc Nostromo’s music [SoundCloud]
LittleGPTracker

Matt Simmonds (4mat)
Matt Simonnds’ music [Bandcamp]
Ate Bit

Patric Catani
Official site
Patric Catani’s music [Bandcamp]

Zabutom
Zabutom’s music [Bandcamp]

チップミュージックは進行している――新たなるビープ制作のプロセス/ヴァリエーション

(注:URL等がない限り、以下の引用は全て論文からの引用である)

Anders Carlssonの論文は「チップミュージックとは何か」を教えない。その問いはあまりに難解か単純であるかのどちらかだ。著者の企図はもっと野心的である。その代わりにそれは「チップミュージックがミュージシャンのいかなる手法によってどのように統御され、作動し、また彼ら・彼女たちは自分たちの観念にどのように動機づけられているか」に焦点をあわせる。彼はチップミュージックに一義的な定義を与えるのではなく、慎重なインタヴューによって得られたチップミュージシャンたち自身の言葉から、プロセスとヴァリエーションの概念化を行う。この論文で取り扱われているのは、つまり、アプリケーション――ミュージシャンたちがテクノロジーへいかに適応し、そして各々のインターフェイスとプラットフォームを自らの企図にいかに適合させるか――のレヴェルである。チップミュージックは進行している(in progress)。

[本稿の]目標は、チップミュージシャンがデジタル・メディアの基本的特徴にいかに適応し、いかにそこから離れるか、そして彼らがそれにどんな意味を帰しているかを説明する諸概念を展開させることである。(「概要」)

チップミュージシャンが音楽制作のために使用するツールは多様である。実機かエミュレータか。既存の有用なソフトウェアか、改良されたソフトウェアか、それともソフトウェアの「裏をかく」か。新たにソフトウェアを開発する者もいるし、既存のハードウェアを拡張する者も、自前のハードウェアを組み立てる者もいる。こうした意図の多様性を汲み取るために、Carlssonはインタヴューを行う10人のミュージシャンを選出しているが、私の見るところ、その選定は網羅的でないにせよ非常にバランスが保たれていると言ってよい。各々が独自のスタイルを模索してきた人たちである。チップミュージックはそのルーツのひとつであるデモシーンの文脈から、しばしばテクノロジーの再横領(流用)という側面を強調されることが多かった。しかし、ここでは私たちは、再帰的なメディアとしてのチップミュージックの深度を十分に測ることができよう。

チップミュージックにテクノロジーの再横領というレッテルを貼ること、それ自体は容易い。実際、それは少し安易に過ぎる。メディアの物理的制約を押し広げているように見えるチップミュージシャンが存在するとはいえ、チップミュージシャンの多くは、そのメディアの概念的制約を押し広げていると表現するのが適切だ。私たちは、チップミュージック・メディアがどんなことをするとされているかに関する諸観念を持っており、そしてチップミュージシャンたちはそれらの観念に挑む。(「完全なるビープを求めて」)

チップミュージックは2000年前後、新たなフェイズに入った。LSDjやNanoloopといったツールの助けを得て、爆発的な生産性がもたらされた。もちろん、これにはそれらのソフトウェアが動作する任天堂製の携帯ゲーム機の普及というインフラ的要因が欠かせない。チップミュージックはますますポピュラーになり、パーティが開かれるようになり、マスメディアに取り上げられることも増えた。こうした動向を先導したのが1999年に登場したmicromusic.netである。2000年代前期、この「サイト」はデモシーンとは距離を置いた、チップミュージックに関する初めての自覚的かつ自律的な集団的運動の形成に寄与した。こうした事象を私たちはしばしばチップシーンの誕生と考える――いや、むしろ外部から意味付与が行われた時、チップミュージックとチップミュージシャンたちはおのれの他律性と同時に自律性を確かめるようになったのではないだろうか。彼らはチップミュージックが商業的価値あるいは芸術的価値の産出とは全く無関係なアマチュアの「無用な」戯れ等ではなく、それもまた、特定のエコノミーのなかで動作するアーティファクト(人工物)であることを確認した。論文でも触れられている、2003年に生じたMalcom McLarenとmicromusicとの間のコンフリクト(実際には擦れ違いと呼ぶのが適切であろう)は、徴候的な例である。自分たちの行為についての周囲の理解に対する反応(反動)を通して、チップミュージシャンは、自分たちの音楽が何によって基礎づけられるか意識を深めるようになった。こうした過程は歴史的にめずらしいものではない――たとえばジャズ、クラウトロック、印象派、フォービスム、等々。

彼らにとって、チップミュージックはスタイルではなく、そのポテンシャルを最大化するために特定のテクノロジーを使用することに関するものである。Dubmoodが言うには、「〔サウンドチップは〕他のどんなインストゥルメントにも似たインストゥルメントであって、一つのジャンルではないのは間違いない」(Rydén 2006))。求心力のある要因はメディアの選択だった。それは、正統性のための防衛的言説とBourdieuが名付けるものを形作る、本来=真正性(オーセンティシティ)を求める主張だった(1995:73)。(「チップシーンとデジタル・オーセンティシティ」)

「チップミュージックの物質性(Materiality)」――物理性(physicality)ではない――と題された章でCarlssonが説明しているのは、チップミュージックの遂行に伴うプラットフォーム上あるいはソフトウェア・インターフェイス上の様々な制約である。これはクレメント・グリーンバーグの述べるような、自己純化を目指す自己規定的な表現としてのモダニズムと比較することができるだろう。つまり、各々が出会う種々様々な制約――低容量、低機能、アーティファクト、バグ、要するに私たちが解決または活用する(しなければならない)内在的抵抗――をバネとして、各々のメディウム・スペシフィックな作品の形式が要請されるのである(特に「障害と原動力としての制約」と題された節を参照)。だが、チップミュージシャンがしばしばエミュレータを使用して、ハードウェア上の諸問題を回避することが多いように、チップミュージックは必ずしも自己純化を目的としたメディウム・スペシフィックな表現とは言えない。たとえばチップミュージックの主な特色と見なされている高速アルペジオや数学的に単純な波形が、発明時の動機とは離れて、もっと高性能なマシンやもっと高機能なソフトウェアで、意匠あるいは記号として広く用いられるように。そもそもMatt Simmondsが示唆するように、Amiga上での音楽制作にC64のサウンドチップのシミュレーションが含まれていたのだとしたら、事はそう単純化できないだろう。私はこの点を、アリストテレスの模倣論に遡って明らかにしてみたいが、今はその時ではない。だがひとつだけ、Carlssonがチップミュージックに対する見方/接し方の変化を、「存在=政治論」という語を用いつつ実存的(倫理的と言うべきだろうか)、政治的側面にどうかに関連付けを行おうとしているのは、極めて正当であると述べておきたい。

この論文でひときわ興味深いのは、トラッカーを用いた音楽の実現化のプロセスを、経験豊富な情報提供者の言葉に即してたどっていることにある。1986年、Chris HülsbeckのSoundmonitorを嚆矢とし、翌年Karsten ObarskiのUltimate Soundtrackerによって展開されたトラッカーという音楽制作インターフェイスの形態は、それ以降あらゆるプラットフォームに広がり、チップミュージックの主要なツールであり続けている。それは間違いなくひとつの発明だった。誰もが簡単に入手でき、改良さえ許されている自己表現のための武器――こうした見方がおそらくチップミュージックをパンクに近づけて語る言説を支えている。では、トラッカーの有用性はどこにあるのか。たとえば――

サブメニューに隠れているソフトウェアと比べると、エフェクト・カラムは常に目に見えている。トラッカーのエフェクト・カラムと一体になって、「シーケンサーでは外観上任意の関連性なの対し、[トラッカーでは]各行と直接的な関連性」が存在する(little-scale)。エフェクト・カラムの絶えざる現前は、「トラッカーは自分がそれぞれの段階の真っ最中に立ち会っていて、何でも微調整可能な気持ちを抱かせる」(Matt Simmonds)状況を増大させる。(「表現エフェクトとパターンのプレッシャー」)

トラッカー固有のインターフェイスは、このようにチップミュージシャンの創造性を刺激し、ミュージシャンに特別な集中力をもたらすことがある。本文でそれらのことは「インターフェイスの即時性」や「没頭」という概念でもって説明されている。こう言ってよければ、トラッカーでの音楽制作は、プロセスに関して即興とも関連している。2000年前後、チップミュージックに起きた大きな変化のひとつは、LSDjやNanoloopといったツールを使ってライヴ・パフォーマンスがそれまでと比べてはるかに容易になったという点であった。またそれがチップミュージシャンというステータスの確立につながったのは言うまでもない。ところでCarlssonはgoto80として、C64のインハウス・ツールdefMONを使用した音楽制作の動画をいくつかアップロードしているが(例えば、「How to make Commodore 64 music」)、これはチップミュージックの生成プロセスの反省、再文脈化にあったのではないかと私は考える。

既存のツールを使って没頭しながら音楽制作をすることも可能だが、それに対して所与の条件の下で、別の仕方で行為しようとするチップミュージシャンたちも存在する。この傾向は、論文では「システムを超越すること」「侵犯」といった観点から検討されている。デモシーンの文脈ではしばしば「限界=境界を押し広げる(pushing the limits/boundaries)」という言い回しを目にする。それは目の前の限界を消去するというよりむしろ、可能性に転じるといった意味合いを持つ。彼らにとって作品(プロダクション)とは、問題の除去ではなく、一種の解決の提示に他ならない。つまり作品に独自の「問い方」が含まれていることが重要なのである。こうした考えはチップミュージシャンにも継続している。

「人が特定のコンソールあるいはチップから生じることを予想だにしない音楽を、僕は作り続けてきた。だが、おそらくこれは技術的観点から何かを超えることと同じではないだろうと思う。(…)もしかすると、技術的に何が可能か、そして可能でないのかを徹底的に深く掘り下げるよう人々を駆り立てることによって、チップミュージックは知覚された限界を打ち壊すのではないだろうか」(little-scale)

限界=解決すべき問いとしてチップミュージシャンの目の前に現れるものが、自分たちが音楽制作に用いる個人的なルーチンであることもある。予測可能な効果(結果)を回避することは、偶然性をいかに統御するかに関連している。

チップミュージックは不確かなプラットフォームを効率的に制御するよう考案されたが故に、チップミュージック・ソフトウェアの意図された利用法は、制御を軸に展開されてきた。Jeremiah Johnsonが「ソフトウェアの誤用」について語る時、それはそのシステムに対する反抗と「カオスを物事に注入し、そして一部の制御を諦めろ」(Jeremiah Johnson)という企てを含んでいる。(同上)

つまり彼らにとって制約と制御は、カントの用語に従えば構成的理念ではなく統制的理念として働くことがある。限界と侵犯の関係も同様である。実際は、システムの外側へ出ることそれ自体が問題なのではない。何か別のことをすることによって、そして何か新たなものを作り出すことによってシステムの限界を画定することが、私たちの認識を一新するのである。

最後に、極めて限られた紙幅ではあるが、いくつかの例を参照することで、Carlssonの提示した諸概念のいくつかに応答したい。

多連装音源システム G.I.M.I.C」とテラネットワークシステムの「TNS-HFCシリーズ」から派生したapplesorceの「西住殿」は、美学的マキシマリズムの極端な例である。制約の範囲内でのリソースの最大限の利用を目的とする最適主義(viznut「演算的ミニマル・アートを定義する」を参照)に反しているとさえ言えるかもしれない。前者は現代的なPCで、後者は実機すなわちファミコン上で複数のサウンドチップの制御あるいはそれらを使った曲の再生を可能にするハードウェアである。マシンの性能の向上とサウンド・エミュレーションの進展により、トラッカーにもたらされたもののひとつがポリフォニーである(MilkyTracker、Famitracker、GoatTracker、Klystrack等々)。西住殿、G.I.M.I.CあるいはHardSIDといったデバイスは、サウンド・エミュレーションの進展の帰結と私は考える。

インターフェイスの即時性に関して言うと、論文では著者と情報提供者のどちらも、専らトラッカーというプログラムの形式に即して論じているが、MMLという形式においてもそれは確認可能である。たとえば、utabiはこのように述べている。

「mmlでの作曲は、作曲というよりプログラミングで、何が起きるかわからんけど適当にエイヤエイヤって書いてコンバートしたらオモロイ音なったすげー!の繰り返しでした。今のDAWみたいにすぐ音が出るわけじゃなかったので、薬を調合して火であぶって結果を楽しむ、という科学の実験みたいな感覚」(utabi)[URL

おそらくこうした感覚は、1980年代、C64でRob Hubbardのミュージックルーチンをハックして音楽制作を行っていたLaxityNeil Baldwinといったミュージシャンのみならず、Martin GalwayやTim Follinといったゲーム・ミュージック・コンポーザーも経験していたものではなかっただろうか。ところで、LSDjのようなトラッカーでの音楽制作とMMLによるミュージック・プログラミングには、プロセスの上で明らかなフィードバックの遅延が存在するが、それでもPatric CataniやMarc Nostromoが言うような作業感覚を維持できていた。これは私自身のMMLでの音楽制作経験にも当てはまる。

「脳とサウンド・システムが直結しているようなものだ。インターフェイスが思考の過程を邪魔することはない。(…)LSDjタイプのインターフェイスでは、良いアイデアがあったかどうかが分かるのに数秒しかかからない。他のタイプのプログラムだと数分かかってしまって、その後また繰り返してやってみようとは感じない」(Marc Nostromo)(「インターフェイスの即時性」)

彼らはトライ・アンド・エラーによって生まれる偶然が手法になり得ることについて述べている。インターフェイスは必ずしもトラッカーのようなフロントエンドを備えたプログラムの形態をとっていなくてよい。現代音楽の領域ではジョン・ケージやピエール・ブーレーズらによって顕在化された、不確定性をいかに統御するか、という問い=関心は、情報提供者のなかでは特にEdとlittle-scaleによって深められているように見える。また「トライ」は、以前の実践からかなり間隔が空くこともある。

「偶然重要! 複数の異なる曲があって、使われてる音色番号は同じだけどパラメタは違う場合、想定外の鳴り方をする事が多々あり、斬新な音はそういう時に生まれます。旧曲に今のテクニコーをなんとなく適用したら大化けしたとかもよくありますし、FM はまじスルメ音源です」(hizmi)[URL

ここでも、チップミュージシャンたちによって語られているのは、アプリケーションのレヴェルである。utabiとhizmiの発言はX68000というハードウェアでの実践に基づいている。そしてエレクトロニック・ミュージックにおけるこの種の実践はもっと前に遡ることもできる。細野晴臣は鈴木慶一との対談のなかで、1980年代前期のRoland MC-4を使ったサウンドプログラミング経験について語っている。

「(…)例えばランダムな数字を打っていったり、あるいは、音を頼りにリアルタイムで打っていく。それとステップは別の問題で、音楽を違う次元で考えられるわけ。音楽を分解しちゃってメロディの流れ、音と音との相関関係をまず作ってしまう。(…)聞きながらやるから、それはフィードバックしているわけ。つねにフィードバックしながら作っていくと、今まで自分が作ったことがないような音楽ができるんだよね」(細野晴臣「音楽とテクノロジーの波打ち際で」『ムーグ・ノイマン・バッハ』日本ソフトバンク、1988年)

この点に関連して興味深いことに、hallyによれば、MC-8(MC-4はこのシーケンサーの後継機である)にはトラッカーのように時間が垂直軸で表される表記形式が潜在しているという。

「”Compu-Music”がY軸を時間軸にしたのは何故か? 同じRolandのMC-8(1977)に答えがあります。画面は一行ながらマニュアルには確かに「縦」の概念がある”」(hally)[URL

私たちは今や影響の言説から離れようとしている。インターフェイスもまた、造形物として語ることができるのではないだろうか。離散的な音楽としてのチップミュージックはしばしばパンチカードのテクノロジーに関連付けられるが、様々なノーテーションが制作過程にもたらす可能性と制約についてもっと検討できないだろうか?

以上、論文の広大さに比してあまりに短かったが、「チップミュージックは何か」ではなく、実際は「チップミュージックはいかに発明されるか」と問うことの重要性に着目しつつCarlssonの論文が執筆されていることがいくらか明らかになったのではないだろうか。彼の粘り強い思考によってチップミュージックの生成プロセスにもっと光があてられることを願う。ここから新たに私たちの仕事が始まる。

Chipmusic is in Progress: Process/Variation of Making Another Beeps

(Note: the following quotes are all from Carlsson’s thesis except when there are URLs and so forth)

Anders Carlsson’s thesis doesn’t tell us “what chipmusic is.” The question is either too knotty or too simple. The author’s attempt is more ambitious. Instead, it focuses on “how chipmusic is operated and is working with what kind of methods used by chipmusicians, and how they are motivated by their own ideas.” He doesn’t give an unambiguous definition to chipmusic, but does conceptualize its process and variation based on the words by chipmusicians themselves through his discreet interviews. In other words, this thesis deals with the level of application – how musicians adapt to technology, and how they fit each interface and platform to their intentions. Chipmusic is in progress.

The purpose [of the thesis] is to develop concepts that can explain how chipmusicians adapt to and move away from fundamental features of digital media, and what meanings they ascribe to it. (Abstract)

There are many different tools used by chipmusicians for making music: original hardware or emulator. Existing useful software, modified one, or “outfoxing” one. Some develop new software, and others expand existing hardware or build up their own one. Carlsson has selected 10 musicians for interviewing to carefully understand that diversity of their intentions. In my opinion, the selection is well balanced, if not exhaustive. Each of them has sought their own styles. Chipmusic has been often emphasized in the aspect of a reappropriation of technology as it is related to the demoscene context, which is one of the roots. But we could well measure the depth of chipmusic as a reflective media here.

As such it is easy to label chipmusic as a re-appropriation of technology. In fact, it is a bit too easy. While there are chipmusicians who seem to push the physical limitations of the media, many chipmusicians are better described as pushing the conceptual limitations of the media. We have ideas about what chipmusic media are supposed to do, and chipmusicians challenge those ideas. (Looking for the Perfect Beep)

From around 2000, chipmusic entered upon a new phase. The explosive productivity was brought about due to the tools such LSDj and Nanoloop. Of course, we must consider the factor of infrastructure that Nintendo handheld game consoles were already widely used at that time. Chipmusic became more popular, and the parties had come to be held, and besides, it got to be much taken by the mass media. Micromusic.net, which appeared in 1999, took the lead in this trend. In the early 2000s, this “site” contributed to the formation of the first subjective and autonomous collective movement about chipmusic, keeping a distance from the demoscene. We can often see these events as the birth of chipscene – rather, however, did chipmusic and chipmusicians begin to confirm their autonomy as well as heteronomy when they were gave meanings by the outside? They confirmed that chipmusic is not such as amateur’s “useless” play entirely unrelated to production of commercial value or artistic value, that it is also an artifact working in a certain economy. A symptomatic example is the conflict – in fact, maybe we should call it passing each other – occurred between Malcom McLaren and micromusic in 2003. Through their reaction to surrounding understanding of their activity, chipmusicians came to deepen their awareness of what their music was based on. Historically, this process is not rare: Jazz, Krautrock, Impressionism, Fauvism, and so on.

For them chipmusic was not about style but about using certain technology to maximize its potential. Dubmood said: “[The soundchip] is an instrument like any other instrument, and definitely not a genre” (Rydén 2006). The unifying factor was the choice of media. It was a claim for authenticity that formed what Bourdieu calls a defensive discourse for orthodoxy (1995:73). (The Chipscene and Digital Authenticity)

In the chapter called “The Materiality of Chipmusic,” – not Physicality – Carlsson describes various limitations on platform or software interface associated with performing chipmusic. This can be compared with modernism as self-defining expression aimed at serf-purification as Clement Greenberg describes. In other words, each medium specific form of work is requested, driven by many different limitations – such as low capacity, low functionality, artifacts, and bugs, that is inherent resistance we (must) solve or make use of – each person encounters (see especially the section titled “Limitations as Obstacles and Springs”). Chipmusicians, however, often avoid problems caused by hardware by using emulator, so chipmusic is not necessarily medium specific expression aimed at self-purification. For example, fast arpeggio and mathematically simple waveforms, which are considered as main characters of chipmusic, are commonly used as a design or a mark on more high-performance machines or in more advanced software away from the motivations at the time of invention. In the first place, if music making on the Amiga involved simulation of C64 soundchip as Matt Simmonds suggested, things is not so simple. I would like to make clear this point, going back to Aristotelian theory of mimesis, but it’s not the time. But there is just one thing I want to mention, that is to say, it is in the very right that Carlsson has managed to associate the change of viewpoints and methods of handling to chipmusic with existential (or should I call ethical?) and political aspect, using the term “ontopolitics.”

A remarkably interesting point in the thesis is that the realization process of music using trackers is traced in keeping with the experienced informants’ words. Trackers, the form of interface for composing music, were firstly appeared as Soundmonitor by Chris Hülsbeck in 1986, and next year, developed by Ultimate Soundtracker coded by Karsten Obarski. After that, people have expanded in every platform and remained main tool for chipmusic. They were an invention without a doubt. Weapons, which are easily accessible for everyone and even allowed to improve – such viewpoint probably supports the discourse which associates chipmusic with punk. So, where is the utility of trackers? For example:

The effect column is always visible, compared to software where it is tucked away in submenus. With the effect column in trackers, there is “a direct association with each row, whereas in a sequencer it is a visually optional association” (little-scale). The constant presence of the effect column adds to the situation where “a tracker makes it feel like you’re right there in the middle of every step, able to tweak anything” (Matt Simmonds). (Expressive Effects and the Pressure of Patterns)

The interface inherent in trackers can motivate the creativity of chipmusician and give them particular concentration. These things are showed with the concepts of “interface immediacy” and “immersion” in the text. In other words, making music with trackers is related to improvisation in terms of the process. One of huge changes happened to chipmusic around 2000 was that live performance became much easier than before due to the tools like LSDj and Nanoloop. Of course, this also led to establish the status of chipmusician. By the way, Carlsson has uploaded some videos showing his composing with the in-house tool called defMON for C64 (e.g. “How to make Commodore 64 music”). I think that this activity intended to reflect and recontextualize the creation process of chipmusic.

Though we can make music using existing tools and immersion, there are some chipmusicians who act in a different way under given conditions. This tendency is explored in terms of “going beyond the system” and “transgression” in the thesis. We can often see the expression like “pushing the limits (boundaries).” in the demoscene context. It means turning their present limits into possibilities rather than clearing them. For them, works (productions) are to show a kind of solution, not to remove problems. In fact, it is important that their works involve “how to question” in their way. This method of thinking is continued by chipmusicians.

“I’ve written music that you wouldn’t expect to come from a particular console or chip, perhaps, but this is not the same as going beyond something from a technical point of view I suppose. [..] Maybe I would say that chipmusic breaks perceived limits by pushing people to delve deeper into what is and isn’t technically possible”. (little-scale) (Going Beyond the System)

Sometimes personal routines using for composing are the limits and problems which chipmusicians must solve in front of them. To avoid predictable effect (result) is connected with how they control accidents.

Since chipmusic was designed to control unreliable platforms efficiently, the intended use of chipmusic software has been centered around control. When Jeremiah Johnson talks about “misusing software”  then, it involves a rebellion against that system and attempts “to inject some chaos into things. And give up some of the control.” (Jeremiah Johnson) (ibid.)

That is to say, the limitations and control to them can function as regulative idea, not constitutive idea in Kantian terminology. The relation between the limits and transgression is the same. Actually, going outside the system per se is not the issue; to complete the limits of the system by doing something different and making something new can change our perception completely.

Finally, I would like to respond to a few of concepts presented by Carlsson, referring to some examples, although the rest of this introduction is very limited.

“Modular chiptune sound generating system” called “G.I.M.I.C” and applesorce’s “Nishizumi-dono” derived from the TNS-HFC series by Terra Network Systems are extreme examples of aesthetical maximalism. It may be even said that they run contrary to optimalism, which aims at the maximum use of resource within its limitations (see “Defining Computationally Minimal Art (Or, taking the “8” out of “8-bit”)” written by viznut). The former enables modern PC to control multiple soundchips and the latter enables the original hardware, or Nintendo Entertainment System to playback .NSF composed with multiple ones. More polyphony was given to trackers (e.g. MilkyTracker, Famitracker, GoatTracker, Klystrack, etc.) because of increase in performance of machines and development of sound emulation. I think that devices like Nishizumi-dono, G.I.M.I.C, or HardSID are the result of the development of sound emulation.

As for interface immediacy, both the author and the informants in the thesis have discussed in keeping with mainly the form of program called trackers, but it also can be identified in the form of MML. For example, utabi said:

“Music making in mml is programming rather than composing, where I wrote something at random even if I didn’t know what would happen, and then converted it and I was like “wow, it sounds intriguingly!” This is why the process was repeated. Since I couldn’t immediately hear the output like modern DAW, so I experienced it like a kind of science experiment: prepare a medicine, broil it, and then I enjoy the result.” (utabi) [URL]

Probably, videogame music composers such as Martin Galway and Tim Follin as well as musicians such as Laxity and Neil Baldwin who had hacked the music routines of Rob Hubbard on the C64 in the 1980s had also experienced this feeling. Now, there are obvious delays of feedback on the process between composing music with trackers like LSDj and music programming with MML. Utabi and others still could keep up the sense of work as Patric Catani and Marc Nostromo describe. This case can apply to my experience of making music using MML.

“It’s like there’s a direct connection between your brain and the sound system, the interface is not in the way of your train of thought. [..] In LSDj type interfaces it takes seconds to know whether or not it was a good idea. In other types of programs it takes me a few minutes and then I don’t feel like trying the next iteration.” (Marc Nostromo) (Interface Immediacy)

They discuss the accidents coming from trial and error can be their method. Interface they use is not necessarily such the form of a program as trackers with front-end. It seems that the question-interest of how we control indeterminacy became obvious by John Cage, Pierre Boulez, and others in contemporary music field is especially deepened by Ed and little-scale. Also, “trial” can have a lot of intervals from the previous practice.

“Accidents are essential! When there are several different tunes, if the instrument number used in these tunes is the same except the parameters, it often sounds beyond expectations. Fresh sounds can be created in such cases. It is usual that old tunes make a huge change when I apply my current technique to them. The more I used FM synthesis, the more its character comes out.” (hizmi) [URL]

It is also the level of application that chipmusicians talk about. These remarks by utabi and hizmi are based on their practice on the X68000 hardware. And we can find this kind of practice in electronic music in an earlier time. In the dialogue with Keiichi Suzuki, Haruomi Hosono discussed his sound programming experience with Roland MC-4 in back in the early 1980s.

“[..] For example, I hit numbers at random or in real-time depended on the sound [output]. So I can think in another dimension as it is different matter from the steps. I deconstruct the music and firstly make the correlation between one sound and the other. [..] Feedback happens since I am hearing it. When making music always with feedback, a kind of music I have never made can come along.” (Haruomi Hosono) (Music and Technology on the Water’s Edge: Moog, Neumann, and Bach. Nihon SoftBank, 1988.)

According to hally, interestingly related to this, the kind of notation which represents time as vertical axis like trackers is also implicit in MC-8 (MC-4 is the successor of the sequencer).

“Why did “Compu-Music” make y-axis representation of time? The answer is in MC-8 (1977) similarly produced by Roland. While the screen is one-line, there is surely the notion of “verticality” in the manual.” (hally) [URL]

Currently, we are stepping away from the discourse of influence. I think we could discuss interface as formed objects. Chipmusic as discrete music is often associate with punch card technology. So, couldn’t we consider more the possibilities and the limitations come from many different forms of notation?

Concluded, for now. I think that it became somewhat clear that Carlsson wrote the thesis focusing on the importance of “how chipmusic is invented” rather than “what chipmusic is,” although this text it too short compared with it is extensive in range. I hope the creation process of chipmusic will be more illuminated by his persevering thought. Our tasks start anew from here.

CHIPFLIP | chipmusic and 8-bit art: Anders Carlsson’s blog

Goto80: his basement

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