Rob Hubbardを導入する

0. Who’s who

“Rob Hubbard’s Music” [1] の著者McSweeneyに倣って、再度この当惑から始めるべきだろうか。「Rob Hubbardのような人物をどのように紹介したら良いだろう」?。

ここでは、欧米では「古典的」地位を獲得したゲーム用サウンドトラックを何作も残すも、本邦において業績を紹介される機会が少なかったイングランドの音楽家/サウンド・プログラマー(1980年代後半に渡米)Rob Hubbardについて、先述のMcSweeneyのテキストに補助線を引くつもりで、若干の紹介を試みる。

本稿は途中で、Robのミュージックルーチンに学び音楽制作を志したデンマークのC64シーナー、LaxityことThomas Egeskov Petersenの音楽的回想が長文挿入されることを注記しておく。彼の経歴は、Robに感銘を受けて音楽制作を試みた者のドキュメントとして、範例的だと考えたからだ。

1. “the 64’s poor little 3-voice SID chip suddenly brings forth great-sounding 5 or 6-part,”

Crazy Comets (Martech 1985)

1985年、コモドール64を主戦場としてRob Hubbardの快進撃が始まる。『Thing on a Spring』や『Monty on the Run』、『Crazy Comets』といった、今日まで彼の代表作として記憶されるタイトルがリリースされる。同年末の”Popular Computer Weekly”誌に掲載された取材記事は、当時からRobが類のないヒーローとして迎えられた熱気を伝えている(あるいはこう言っても良い、今日見られるような熱狂者が誌上に現れたと)。McSweeneyも言及していたRobの音楽がSIDの3チャンネルという制約を超えた以上の音が聞こえる驚きは、記者Tony Reedも記録しているとおりだ。その際に「ウォール・オブ・サウンド」の発明者である、Phil Spectorが引き合いに出されているのが興味深い。

しばしば観察されてきたように、ソフトウェア産業が大衆相手の商売[pop business]の再演だとするなら、Rob Hubbardは間違いなくその世界におけるPhil Spectorである。凄まじく独創的、可能性の方向を押し広げ、万人のためにヒット作を送り出す人物。(「Robの新たな素晴らしいサウンドトラック」というようなコメントを述べる評者から利益を得てきたゲームの数やいかに多かろう)。 [2]

Spectorのそれがスタジオ・レコーディングにおける技術であることを考慮するとき、それぞれが拠って立つ原理は別であると言わねばならないが、この音の重層性は革命的であった。Tony Reedは翌年”Commodore Horizons”誌に掲載された取材記事でもこの点について記述している。 [3]

2.SFX、音楽作品というフレーム

Thrust (Firebird 1986)
「[…] 彼はSIDチップの長所と制約にふさわしい音楽を作ることができた。
『Thrust』の冒頭で用いられたSFX、あるいは『Delta』のインゲーム・ミュージックを思い出してみてほしい」(McSweeney)

Rob Hubbardの音楽ではSFXが多様な用いられ方をしてきた。簡単に整理してみよう。

インゲーム・ミュージックへの割り込み(『Thing on a Spring』『Monty on the Run』『Commando』)。私たちが8-bitや16-bitのコンソールで耳にしてきた、ゲーム中のアクションに応じてヒットするSFXに「阻まれながらも」鳴りつづけるバックグラウンド・ミュージックは、これにより可能になった(これとは異なり、SFXを排他的に1チャンネル確保している例としては『Human Race』を参照すること)。

「スコア」のなかでの特殊な効果を狙ったSFX(『Thrust』『Flash Gordon』、あるいは『Geoff Capes Strongman Challenge』#3)。

パートにインストゥルメントと同じ扱いで挿入されるSFX(『Formula 1 Simulator』『Crazy Comets』)。「スカイダイブ」はこの好例である。

Dynamic Range / Michael Hendriks (F.A.M.E. 1989)
「スカイダイブ」の応用例

また、Hubbardの音楽は、一曲の内に長大なソロが編入されている点を特徴とする。関連して、それ以前の音楽とは断絶をなす「曲」の長さについて指摘することも可能だろう。彼のサウンドトラックのメインテーマのほとんどは3分を超すが、この値はそれまでのC64のゲームのサウンドトラックと比較した場合、異常だと言わねばならない。

Rob Hubbardは従来のどんなVGM(Video Game Music)より、「ポップ・ソング」に近い「ソング」を書くことができた(『One Man and his Droid』『Last 8』)。すなわち、彼を嚆矢として、ゲーム作品にける、(ゲーム本編の面白さを括弧に入れた!)「サウンドトラック」の価値/基準がユーザーの間に誕生した。そういうわけで、時にゲームタイトルが当のゲームを差し置いて、彼のオーパス(作品名)として取り扱われる倒錯を目にすることになる。付け加えて、実際に彼はポップ・ソングをコピーすることもあった(『Zoids』)。
一方で彼は「ポップ・ソング」から程遠い、10分前後の長大な「スコア」を書くこともできた(『Delta』『Kentilla』『W.A.R.』)。『Gerry the Germ』のような典型的なゲーム・ミュージックと比較する時、彼の作風の広さとともに、この時点で既に「ゲーム・ミュージック」からの逸脱が了解されるだろう。

彼は「手ぶら」でコンピュータ・ミュージックに挑んだわけではない。BAISCと機械語は独学だったが、学校で音楽的教育を受けてきただけでなく、バンド・マンやセッション・ミュージシャンの経験を通じて、多数の楽器を演奏/操作できた。この「楽器」には電子機器も含まれる。2005年にC64.COMで公開された1983年頃制作されたという彼の4トラック・デモ(「Chimera」「Formula One Simulator」「One Man and His Droid」「Phantoms of the Asteroid」)は、彼の確かなポテンシャルを示す証拠である。

ゲームで使えると踏んで、私はこれらの曲を単にゲームに使っただけなんだ。C64ヴァージョンのほとんどは当初のアイデアよりずっと良い――特に「One Man and his Droid」と「Phantoms of the Asteroid」はそうだね。曲制作にはKorgのポリシンセ、Moogシンセ、Roland TR606とTR303、Casioのチープなシンセ、そして4トラック・テープ・レコーダーが用いられた。また「Formula One Simulator」にはRoland Micro-Composerが用いられている。私は時々、友人からシンセを借りることがあった。制御電圧やゲート・トリガが結びつけられた全てのシンセを私は所有していた。その内の何台かはホーム・メイドである。 [4]

当時、彼はC64ホビー誌『Zzap!64』付属のカセット・テープに、セルフ・リミックスを提供している。彼の人気の高さを伺わせると同時に、ゲーム業界に「本格的な」音楽家がやって来たことを明かすアイテムである。

zzap_sampler_rob_hubbard

Picture taken from GameStone

3. Hacking Rob Hubbard’s routine

Think Twice III / The Judges (1987)
Music by Jeroen Kimmel

手頃な音楽制作ツールがなかった時代、アマチュアの音楽制作者(ほとんどが十代の)にとってRob Hubbardは良き手本となった。実際にRobのコードは彼らの「役に立った」。1986年には、トラッカーの草分け的存在であるSoundMonitorが登場するが、こちらではミュージックルーチンが異なるため、当然『Monty on the Run』のような音楽は作りようがなかった。

彼のミュージックルーチンをハックしたのは“Rob Hubbard’s Music”に記されたJeroen Kimmelだけではない。Neil Baldwin [5] 、Future Freak、Charles Deenen、Jeroen Tel、Johannes Bjerregaard、Michael Hendriks(あるいはF.A.M.E.)等々。80年代後半、彼らは一様にRobのコードに学び、一時期彼の「ような」音楽を作りさえした。SIDの修業時代。彼らのうちの何人かがその後新たなミュージックルーチンの制作に進んだことは特筆に値する。

1989年、ノルウェーのミュージック・グループMoz(IC)artのPredator(Geir Tjelta)がついにミュージック・ドライバを利用した、一般利用可能なRob Hubbard Editorをリリースするにいたって、Hubbardのルーチンの「democratization」が極まったと言えよう。 [6]

Complaisance / Geir Tjelta (1989)
from Genesis / Z-Circle (1989) (0:00-1:50)
Rob Hubbard Editorで制作されたと推測される。
だが曲調はFuture Composerで作られたかのような80年代後期の典型的なクラック・イントロ・チューンなのが面白い

4. Laxityのケース

Rob Hubbardの音楽から「啓示」を受けたミュージシャンは、デモシーンの内外問わず膨大である。C64シーンにおけるミュージック・グループの双壁、VibrantsとManiacs of Noiseに属すLaxityもその一人である。Rob Hubbardのミュージックドライバのハッキングを経て、自分自身のルーチンからビルドへ、という彼の音楽的自己形成はそのままSIDの歴史である。 [7] オーストラリアのデモシーン・アーカイヴィスト、Jazzcatが編纂したディスク・マガジン『Recollection』#2に収められた回想をここに訳出する。

Music Recollection

[…]

Rob Hubbardがコモドール64版の『Commando[戦場の狼]』の音楽でやってみせた改作 [8] を聴くまでは、64で聞くことのできる音楽が「めちゃくちゃかっこいい」と心底感じることなんてなかった。うん、その曲は自分に現実そのもののように響いたし[sounded almost real]、そんな風な音楽を作らなきゃと思ったんだ。これが、僕にとって全てが始まった場所なんだ。

 Commando (Elite 1985)

いかにしてなさされたか

今現在僕たちが有しているような音楽制作のためのツールが存在しなかったため、僕はRob Hubbardのミュージック・ドライバをハッキングすることから着手した。なぜかと言って、自分自身のドライバをビルドするためのコーディング・スキルも、如何にしてSIDが動作するかについての知識も持ち合わせていなかったからだ。それはまさしく演繹という手法だったね。そうしたことが分かる前は、Robのドライバを利用して簡単な音楽を作っていて、何てクールなんだと感じていた(出てくる音はといえば、ひどい有様だったが)。当時は64シーンの存在に気づいておらず、初めての場所での音楽制作理由は、自己満足に過ぎなかった。何作品かゲームを買うためにコンタクトをとった連中と話をすることで初めて、単なるクラッキングよりもアンダーグラウンド寄りの64の話題に気づくようになった。自分がこのマシンで音楽制作をしてきたことを連中に話すと、彼らは大変興味を示してくれた。そのことを知る前は、僕は64のグループにいた……聞いたことがあるかどうか、Wizaxという名前だった。これは86年か、87年最初期のことではなかったかと思う。

機械語を使って作曲することは、技術的には全く難しくなかったけれど、今日利用可能なエディタやトラッカーを使うより、相当時間を要した。Rob Hubbardのドライバで音楽制作するためのツールがなかったため、メモリのポインタやテーブルの再配置等を用いて行われる作業が若干存在した。これらの全ては手作業だった。一目瞭然、シーケンスのイベントは全て一続きのバイト情報によって表されるため、今日の64用の音楽ツールで馴染まれているように、直感的には扱えなかった。例えば、ノートの短いシーケンスはこんな風になる。

87 01 0C 83 02 30 81 01 16 01 18 21 0F 01 10 03 0A 81 02 30 81 01 16 03 0A FF

他の人たちは追って現れた一般的なトラッカーやエディタを使い始めたけれど、僕はこの自分が入れ込んだ作曲手法を用いていた。同時に自分自身のエディタも制作したけれど、このエディタは今まで通り、100%、16進数ベースだった。

Sound Monitorが現れたのがいつなのか正確には記憶しないが、自分にとってそのツールはHubbardドライバの代用にはなりようがなかった。というのもSound Monitorのミュージック・ドライバのメモリ消費は莫大で、ドライバによるCPU使用率の急激な上昇は一生分よりデカかった。付け加えて、そのドライバは大体糞みたいな音がした[sounded like crap]。

Karate Giz / Laxity (1987)
from PhotonDYSP  / Photon, Triangle 3532 (1987)
ハックされたRob Hubbardのミュージックドライバが用いられている

面白い時代

誰しもがハードリスタート、マルチスピード、パルス波やフィルター・プログラムや何やかんやについて話すようになる前のことだ。サウンドドライバはかなりシンプルで、全く融通のきかない代物であることが多かった。大抵は、サウンドの変更ができないようにコードされていて[sort of hard coded]、例えばRob Hubbardドライバの場合は、たった二つのノートしか使えないアルペジオ・ルーチンや、今日のいわゆる一般的な「ウェーヴ・テーブル」を有することなく、音の始まりに短いノイズを再生する特性を備えており、機能はかなり制限されていたのだ。

同時に人々はウェーヴ・テーブルを実装し始めた。自分の最初のドライバにはウェーヴ・テーブルが全くなく、選択されたパターンのインストゥルメント毎に、二つの波形切替が可能なシステムを頼みとしていた。とはいうものの、僕はアルペジオのためのより一般的なルーチンを実装した。それは曖昧なやり方で用いられたため、不便だった。いずれにせよステップ入力可能なパルス波[Step programmable pulse]はありふれたものではなかった。殆どの人はこのために、大した創造性の隙もたらさなかったパルス波の単純な「ワン・ショット・バンプ」を実行していた。自分のドライバはパルス幅がループした際、レガートのノートをループさせただけだった。Martin Galwayのドライバが一つの例外だ。いかに彼がパルス波のプログラムを実装したのかを見るために、彼のドライバを研究することはなかったけれども、Galwayは実にクールなパルス・スウィープをやってのけた――これは確かなことだ。

これらのことが、80年代後期に変わった。ドライバはより進化し、進行中のたくさんの「顧みられるべき点[looking over shoulders]」が存在した。サウンドドライバの実装において、これ[ドライバのコーディングにおけるチェック項目]が大体の標準化されたアプローチへと導いたのは明白であって、今日ではほぼ同じことが実行可能なドライバが多数存在する。

1988~89年頃、特殊なハード・アタックの鳴るSIDミュージックを聞き、どうしたらこれが実行されるのか[how this was done]、調査を開始した。このことについて、JCH [9] と議論を交わしたこともあった。僕たちはより良い言葉が見つからなかったため、「ハードリスタート」とそれを名づけることにした。これはそれまでで最もクールなものの一つだったと僕は考える。ハードリスタートはサウンドにより多くの一貫性をもたらし、作曲行為における全体的なインストゥルメント・デザイン(?)のプロセスを、ずっとより便利なものにした。少なくとも取り散らかしたADSR値の設定はもう問題にはならなかった。

挑戦(再び過去を振り返る)

「敢えて」自分自身のドライバを書く前は、1987年のおおよそ十カ月間、Robのドライバを使っていたと思う。14歳という年齢で自分自身のドライバを書くことは僕にとって大きな挑戦だった。実際に利用可能なものが出来あがると誇らしかった。それを理解するためには、正しいコンテクストでこのことを見てもらう必要があると、僕は考える。自分自身のドライバを書きおろす以前、自分がコードしてきてことはといえば、スクローラーやラスターバーみたいなもので、ミュージック・ドライバのような再利用可能な、一般的なものは何にもなかった。(92~93年に)シーンを後にする前、僕は四つの異なったドライバをコードした。そのうち使われたことがあるのは三つだけである。87年に書かれた最初のドライバはラスタータイムの急激な消費[raster spikes]とくそったれなゲートタイムの制御[crap gate handling]が大きな悩みの種だった。二番目のドライバではラスタータイムの急激な消費を改善したが、依然としてゲートタイムの制御は上手くいっていない。しかし少しましなパルス波のスウィープを実装している。このドライバは87年後期、88年初期に書かれた。ハードリスタートというコンセプトを中心に書かれたDriver 3は、規則正しいパルス波とフィルター・プログラムが実装され、ラスタータイムの消費が適切になった。このドライバは89年に書かれた後、引き続き磨かれていったのは言うまでもない。Driver 4が日の目をみることはなかった。それは実質的にはDrive 3の書き直しで、自分の思うように高速にならないことが分かった。それゆえ、僕はこのプロジェクトを放棄することにした。

Crosswords / Laxity (Starion 1988)
Driver 2で書かれた曲だと推測される

Laxityは2007年にリリースされたC64用ゲームの「新作」『Joe Gunn』において、自作のミュージック・エディタSID Factoryを用いてHubbard調の曲を奏でてみせている。時をこえた粋なオマージュであるとともに、また同種の試みの中では最も優れた、瀟洒な達成である。

5. Missing/Transferring Rob

Rob Hubbardは日本では未だ知られざる音楽家である。残念ながら、彼の関わったタイトルが、(もちろん音楽と共に)ローカライズされる例がほとんどなかった――というのは必ずしも事実ではない。NESでのタイトル(『Skate or Die』『The Immoetal』)は移植されなかったものの、実はメガドライブでは、エレクトロニック・アーツ在籍時の作品がいくつも発売されている(『ポピュラス』『ロードラッシュ』『ロードラッシュII』『PGAツアーゴルフII』『デザートストライク』そして『ウィザード・オブ・イモ―タル』)。しかし私たちはそこから彼を見つけ出し、記録することはできなかった。1991年に国内発売された『ポピュラス/サウンドワールドオブポピュラス-GSMイマジニア1』に彼の名前がクレジットされていないのは、(何かの理由があったのだろうが)非常に象徴的な事例である。 [10]

C64では多数の国産アーケードが移植されているが、彼が関わったのは『戦場の狼』一作に過ぎない。しかも正しくは作曲者TAMAYOに帰せられるべき音楽が、海外では時に「彼の」音楽のように扱われる。これらの事例を見て、不快に思う向きもあるかもしれない。ただ、それ程までに彼の「フリースタイル・カバー」は衝撃的だった。

一方でRobの音楽は多様に転移してきた。まずは確認してきたように、彼のミュージックルーチンのハッキング行為を通して。また、それと同時に彼の曲の膨大なカバーが登場したことも付け加えておかねばなるまい。この「転移」はC64シーンにとどまらない。Jochen HippelのAtari STにおける達成が好例である(Hubbard自身もAtari STで商業ソフトのために音楽制作していることを忘れないこと)。

2010年、スイスの音楽家/コーダーLinus Åkesson(lft/kryo)が発表した自作の電子オルガン、ChipophoneでもHubbardのミュージックルーチンが利用されていることにすぐ気づけるだろう。 [11]

リミックスを別として、Hubbardの「ように」音楽を作るSIDミュージシャンは現在では稀である。だが、彼の音楽が80年代後半に経験し尽くされてしまい、消えてしまったとは言えない。むしろ彼のミュージックドライバがハックされた際の欲動は、このような反復を通して継続中ではないだろうか。 [12]

本稿では、FM音源やMT-32のオペレーターとしての彼に触れることができていない。その点については期をあらためるほかない。 紙幅は尽きた。

Think Twice III (Chipophone) / lft (2010)
The original waas composed by Jeroen Kimmel/The Judges.

[1] Anthony McSweeney (1993). Rob Hubbard’s Music: Disassembled, Commented and Explained, C=Hacking #5
http://www.ffd2.com/fridge/chacking/c=hacking5.txt

[2] Tony Reed (1985). Tyneside specialist, PopularComputingWeekly on December 25th 1985.
http://cpcrulez.fr/auteur-rob_hubbard.htm

[3] Tony Reed (1986). Profile – The Master Of Micro Music, Commodore Horizons magazine February 1986 edition.
http://www.the-commodore-zone.com/articlelive/articles/20/1/Profile—The-Master-Of-Micro-Music/Page1.html

[4] Rob Hubbard (2005). Original Rob Hubbard recordings, C64.COM
http://www.c64.com/audio_video.php

[5] Interview with Neil Baldwin performed by SIDwave (2010), Recollection #3, Jazzcat.
http://www.atlantis-prophecy.org/recollection/?load=interviews&id_interview=12
http://csdb.dk/release/?id=944244

[6] Moz(IC)art (1989). Rob Hubbard Editor
http://csdb.dk/release/?id=75124
操作マニュアルについては下記リンク先参照。
ftp://ftp.untergrund.net/users/nata/doc/hubbard.pdf

[7] Thomas Egeskov Petersen (Laxity/Maniacs of Noise) (2006). Music Recollection, Recollection #2, Jazzcat
http://www.atlantis-prophecy.org/recollection/?load=online_issues&issue=1&sub=article&id=11
http://csdb.dk/release/?id=42400

[8] 『戦場の狼』は1985年にカプコンが稼働開始したアーケード・ゲーム。1986年にはC64版が発売されるのだが、Rob Hubbardは、河本圭代の曲を「移植」する際に当時としては度を超えたアレンジを施した。「改作」[adaptation]の言葉はその点を受けてのことだと思われる。

[9] JCH…Jens-Christian HuusはC64シーン初期に誕生した標準的なトラッカーJCH Music Editorの制作者。

[10] hallyの教示。
http://vgmdb.net/album/650

[11] http://www.linusakesson.net/chipophone/

[12] 新しいミュージックルーチンでHubbardの時代のルーチンを再現するには困難がある。あるいは特別なテクニックを要する。その一例として右記のフォーラムのトピックを参照されたい。How to make crazy-comet slides in Goattracker (CSDb): http://csdb.dk/forums/index.php?roomid=14&topicid=89551&showallposts=1

References

Rob Hubbard – Commodore Zone
http://www.the-commodore-zone.com/articlelive/articles/19/1/Rob-Hubbard/Page1.html

ROB HUBBARD -LIVING OFF VIDEO
http://www.analogue.org/network/rob_hubbard.htm

Kevin Driscoll and Joshua Diaz, Endless loop: A brief history of chiptunes, Cambridge, Massachusetts, United States
http://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/96/94

Rob Hubbard Editor (chipmusic.org forum)
http://chipmusic.org/forums/topic/3116/rob-hubbard-editor/

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